2chより拾い物

 
 

「おまえらの自慰様の戦争体験を誇り高く語れ」その4

 
その3 ⇒ http://d.hatena.ne.jp/agemaki/20050810/1123628387
その2 ⇒ http://d.hatena.ne.jp/agemaki/20050809/1123540934
その1 ⇒ http://d.hatena.ne.jp/agemaki/20050808/1123460730

  
608 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/10(水) 16:08:34  
近所のじいちゃんの話。
そのじいちゃんは、中国戦線で部隊のお偉いさんの馬を引く係りだった。
ある日、戦闘になった時に「お前は馬を引いて戻れ!」って言われて必死で後方に戻ったらしい。
戦闘が終わった時、その部隊で生き残ったのはそのじいちゃんだけだったみたい。
 
609 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/10(水) 16:15:03  
>>521 俺がガキの頃に病院で自殺しちまったから詳しい事は知らないんだけど、
うちのじーさんも落下傘部隊だ。上官がバタバタと死んだおかげで少佐まで出世したとか。
一応部隊を指揮する立場だったらしいけど、落下傘部隊って厳しいんでしょ?
 
610 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/10(水) 16:18:54  
ひいひい爺さんは、旅順攻略時貫通弾受けて除隊したらしい
ひい爺さんは、巡洋艦愛宕の通信兵で、艦と共に沈んだ
もう一人のひい爺さんは、ニューギニアで戦死
 
何故か、松井岩根の書いた軸が田舎に一幅ある
 
611 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/10(水) 16:23:45  
そーいや銃弾喰らった時にできた傷口に蛆が沸いた時は割り箸で取り払ったっつってたな。
 
613 :■■■■業務連絡■■■■ :2005/08/10(水) 16:35:31  
>>609 一応エリートだったっぽい。 訓練とかも地獄だったって言ってたぜ。
つーか弾がバンバン飛んでくる中を降下するなんざ気が狂ってるとしか思えんw
足に弾が残ってるって言ってたっけ
 
614 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/10(水) 17:35:15  
父方の爺さんは満州行ったけど結核で戻ってきた
母方の爺さんも兵隊で広島の宇品港にいたらしい そして原爆を拝む
爺さん原爆症とか全然無くて今でもピンピンしてるけど原爆手帳もらってる
毎月いくらかお金もらえるし、医療費はタダ ちょっとうらやましいと思ったり
 
615 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/10(水) 18:00:21  
>>474
>その辺でボケ散らしてる爺共も実は戦時中は、空軍のエースパイロットだったとか、
アメリカ人大量に頃しまくってたとか、すごい人だったのかも。
 
もう電車で席に座るのやめますわ
 
616 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/10(水) 19:23:22  
母方の爺ちゃんは軍曹さんで騎馬隊だったらしい。
父方の爺ちゃんは新兵で上官殿に殴られてお終い。
 
617 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/10(水) 19:28:50  
漏れの爺さんは飛行機の工場で働いてた。
空爆があったが、運良く終戦まで破壊されなかったそうだ。
空爆で避難時に、後ろを走っていた同僚が爆風でやられて、側溝で死んでたらしい。
そのときの爆風のせいで、右耳が聞こえなくなった。爺さんの兄貴はガ島で戦死した。
 
618 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/10(水) 19:47:25  
俺のじいさんは終戦15日過ぎても樺太ソ連軍と激しい銃撃戦をしていたみたいだ。
引き揚げの民間人を船で北海道に連れて行くのにソ連軍が攻めてくるので
時間を稼いでいたらしい。北海道まで命からがら逃げてきて抑留の目にあわなくてすんだ。
北海道まで攻めてくると思って次は戦車への自爆特攻も覚悟していたみたいだよ。
 
619 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/10(水) 19:48:36  
うちの爺さんは国鉄の整備士やってたお陰で徴兵されずにすんだよ
 
621 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/10(水) 20:19:25  
夫婦で満州に行って大連で2子をもうける。上が親父(故人)、下が今も健在のおばさん。
終戦時のドサクサで親父たちがベトナム方面へ連れ去られようとしたが、
途中でじいちゃんが助け出した。電車の中にいるところを救われたらしい。
もし助け出されていなかったら漏れは確実にこの世にいない。
 
上は親父が生きていた頃に学校で家族に戦争の話を聞いてこいという
授業があって漏れが親父に伺った話。
ただでさえじいちゃんと親父の名前を一字ずつもらっている漏れだ。
馬鹿サヨみたいに軽々しくじいちゃんたちの批判なんかできるはずもないんだよ。
 
624 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/10(水) 20:26:45  
うちの じいさまは何も話さなかったが軍刀,日本刀を俺への遺品として残してくれた
 
625 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/10(水) 20:27:49  
爺さんは大分前に鬼歴なので、父(64歳)の一番上の兄さん。
南方の島で亡くなったと聞いたけど、やはりガナルガタルとかレイテ辺りなのかな…
 
626 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/10(水) 20:27:52  
うちの爺さんはパイロットの育成?をしてたらしい。凄いのか?
  
627 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/10(水) 20:30:42  
特攻部隊で出撃したんだけど、乗ってた飛行機が調子悪くて戻って来たってさ。
整備中にそのまま終戦。いまだ健在。
一緒に出撃した仲間のことを考えると、よかったのか悪かったのか。
 
628 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/10(水) 20:32:40  
うちのじいちゃんは水兵さんだったらしい。
フィリピンのあたりで平行して進んでいた味方の船が沈められたらしい。
 
629 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/10(水) 20:34:27  
病弱で、丙種とかいう実質不適格通知をもらった。 平和な一生だったと思う。
 
630 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/10(水) 20:35:08  
爺ちゃんじゃなくてばあちゃんだけどいいかな?
 
一昨年亡くなったけど、何の取り柄もなかったばあちゃんの唯一の自慢話が
「ばあちゃんはね、女子挺身隊に入って、工場で鉄砲の弾を作ってたんだよ」
といいながら、その弾作りの作業の説明を一生懸命に嬉しそうに語ってた。
多くのばあちゃんにとって「女子挺身隊」は自慢話だと思うんだ。
それをどこぞの馬鹿が「女子挺身隊」を慰安婦と混同しやがって・・・・・・
おれのばあちゃんは慰安婦じゃねーーーー!!!!゜・(ノД`)・゜・
 
631 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/10(水) 20:38:32  
>>630 琉球大のバカ教授がいらん事書いたお陰で君の婆ちゃんが…
 
634 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/10(水) 21:07:55  
海軍陸戦隊の指揮官で開戦とほぼ同時にアメリカの島を制圧。
戦時中はその島の民政部長をやっていたようです。
祖父の統治は穏当なものだったようで、戦後40年以上経ってからも現地の神父が
好意的な証言をしてくれていたようです。高齢で盲目だった神父は残念ながらもう
亡くなられたようですが従兄弟が直接会って話を聞けたそうです。
祖父は結局、本土に戻ってきて戦病死しました。
防衛研究所に行って、祖父の足跡を調べたいなあ。勝手が分からないがorz
 
635 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/10(水) 21:25:55  
>>630 女子挺身隊は自称市民団体に「武器を作って人殺しを助けた」と批判されるわけだが
 
636 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/10(水) 21:33:51  
>>445 最近に発売した週刊誌を立ち読みしたけど、
石原知事の話で、ヤンキーの戦闘機が子供を撃ち殺したとか。
つか、沖縄占領した米軍がいろいろと鬼畜なことをやってただろーが。
 
637 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/10(水) 21:40:07  
日本中の家庭の仏壇にその家から出征した兵士の生前の写真が飾ってあるのは、
昭和から21世紀前半にかけての一種の象徴的な 光景になるのかな。
漫画「ナニワ金融道」にも必ずといっていいほど 仏壇や鴨居の遺影の絵が描いてあったけど、
百年後の日本人がこれを見たら、戦争の傷跡を日本人が引きずっていた時代だったんだなと
解釈するだろう。
 
639 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/10(水) 21:50:29  
>>637
>百年後の日本人がこれを見たら、戦争の傷跡を日本人が引きずっていた時代だったんだなと
>解釈するだろう。
 
なんでそう解釈するかなあ? 仏壇の遺影だろ?
兵士の写真って、おまい写真がそれしかないんだからしょうがねーだろうが。 バカ。
今みたいに、だれか死んだとき
「どの写真にしよっかなー、これなんかいいんじゃない?」なんてやってたと思うのか?
 
640 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/10(水) 21:53:22   
>>639 ヒント:非業の死
 
641 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/10(水) 21:59:22  
俺のじいちゃん、新鋭空母信濃乗組員だったが就航してまもなく撃沈されて助かった内の一人だった。
まだ戦闘にも参加しないうちに撃沈されたことを残念がっていたな・・・。
この空母で迫り来るアメリカ空母と刺し違えると息巻いていたみたいだがもう日本の近海には
アメリカの潜水艦がウヨウヨしていて戦闘に出る前に沈んだ船が随分あったと言ってたな。
 
642 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/10(水) 22:02:27  
なんかこのスレ見てると戦中の人は強いよなぁ
俺たちの世代が日本をダメにしたら申し訳ないよな
 
643 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/10(水) 22:20:14  
隣のじいさんは 中国で朝鮮人を殺しまくってたそうだ。
食料も営舎も無いのに後から後から人扶として送ってきたからだそうだ
 
644 :(*´_`):2005/08/10(水) 22:23:13  
重機関銃小隊の狙撃手やってて撫順で終戦。魯助が攻めてきたので邦人の保護をして鉄道に
乗せて大連まで送り届けたと。 再び満州の国境まで戻ってシベリア送り。
元々マタギだったので、ネズミやリス、キツネなど罠で捕まえて食ってたと。
毛皮は魯助がタバコやパンと交換してくれたそうな。魯助は皆バカだって言ってますた。
戦争の話はしませんでしたが、
狙撃手は一人で居るのが多いので、寝られないのがつらかったと言ってました。
 
646 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/10(水) 22:30:37  
俺のじいさんは命からがら帰ってきたら、自分が死んだことになってて
しかもその知らせを受けた奥さんが他の人と一緒になってしまってて
自分は何も言わずその人の前から去ったって言ってた・・・・・・・・
 
あとじいさんは人を殺すのがいやで戦場では一発も銃撃たなかったんだって
 
648 :VIP大使 :2005/08/10(水) 23:04:23  
うちの爺ちゃんは海軍で38式の撃ち方を習ってる時に終戦になった
  
649 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/10(水) 23:14:27  
終戦当時北海道でソ連と戦ってたようで
詳しい話しを聞こうとすると、凄く遠い目をして話してもらえなかった
 
651 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/10(水) 23:31:43  
俺が老人になった時、孫にナニを話せば良いんだろう orz
 
652 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/10(水) 23:37:32  
>>651 2ちゃんねるって戦場で、毎日激しい戦いを生き抜いてきた って説明しよう
 
653 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/10(水) 23:38:52  
>>651 その頃には消滅してるであろう2ちゃんねるの事を語ってやれ
 
654 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/10(水) 23:46:11  
うちのじいちゃんは戦争に行くのがイヤで召集令状が来たときも逃げたらしい。
自分で洞窟を掘って隠れて水と近くの畑からかっぱらってきた芋で食いつないだとか。
おれ、じいちゃんに似たって事をそのとき知った。
 
655 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/10(水) 23:55:09  
うちの親父(70歳)の20歳位上の兄貴の話していいか? 
蓄音機、ラジオを売ってたからか海軍整備兵として出征、マーシャル群島で艦砲射撃で死亡。
新婚1年程の八千草薫に似た奥さんは未亡人になってしまった。
艦砲射撃のあった昭和19年の真夏の晩に座敷にかけていた着物をビリビリと引き裂く音が
聞こえたらしい。 包帯が欲しかったのと自分の最期を伝えたんだなと親父。
 
657 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/11(木) 00:02:31  
憲兵さんをやってたってさ。ほんとは大学に行きたかったらしい。 終戦なってからは農業一筋。
性格は俺と違って超真面目だった。
 
658 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/11(木) 00:07:43  
俺のじいちゃんは戦時中、満州にいたらしい。 お菓子とかポッケに隠して日本の仲間に
ばれないよう中国人とかにあげてたんだって。 一人も殺さなかったといってるわ。
 
659 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/11(木) 00:09:25  
オレの爺さん3回召集された
1・中国でマターリどっかの警備してて解除
2・太平洋戦争開始と同時にナントカ攻略戦に参加、連戦連勝後でマターリしてたら解除
3・終戦2ヵ月前に召集、九州でマターリ待機中に終戦
 
660 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/11(木) 00:11:45  
両方とも病弱で兵役逃れた。 で、両方とも60ぐらいで亡くなった。 なーんにも聞いてないわw
 
661 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/11(木) 00:11:45  
うちの爺さんは戦地に輸送される時、船で便所に並んでいたら上官が来たので順番を譲ったそうだ。
当時の船のトイレはというと船外に向かってせり出してて、穴から海へのボットン式だったのだが、
件の上官が便所に入った途端、敵潜水艦による魚雷の奇襲を受け、
その衝撃で上官は便所ごと海に落ちてった。
うちの爺さんはというと、全くのカナヅチで海に投げ出されて溺れてたのだが、
同じ船に乗ってた台湾人の張さんなる人が、木切れを持ってきてくれたお陰で助かったそうだ。
 
その後、救助艇が来たのだが、その救助艇とは止まって一人一人救助してくれるものではなく、
ロープなどを垂らして走り回り、自力で掴まって戦闘海域を脱するしかない舟だったという。
酷な話に聞こえるが止まってしまうと敵の攻撃の的になってしまうので仕方ない。
うちの爺さんは運良く垂らした梯子に掴まることができ、もう片方の腕で張さんを助けたそうだ。
お陰でその張さんとは未だに親戚ぐるみの付き合いがある。
 
662 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/11(木) 00:18:14  
俺の父方の爺さん衛生兵だったんだけど、シンガポールの方で同じ部隊の奴らと
海水浴してたときに仲間の一人がウミヘビに咬まれて死んじゃったけど、
しょうがないから戦死扱いにしたらしい。
 
663 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/11(木) 00:19:41  
シベリアで検索したら結構いるんだね。うちの爺ちゃんもシベリア抑留されたって。
生きて帰ってこれたけど。(すでにとっくに他界してるが)
 
一緒の部屋で寝た仲間ももしかしたらここにいるのかもしれないなぁ。
うちの御祖父ちゃんも余り語りたがらなかったそう。
多分、言うのも辛いし聞かせるのも辛いような日々だったんだろう。(と母が言っていた)
 
爺ちゃんは戦争前は代々続く商人の家柄で、満州でも軍お抱え?の商売人だったって。
満州に渡って、家も建て、店も構え羽振りも良かったのに戦後は何もかもなくした。
満州鉄道の株券も国債も紙切れになったし。
(でも、今でもその国債や株券があるよ。面白いよ、国債なんか”大東亜戦争”って書いて
 あるし、戦車や戦闘機の絵も描いてある、カコイイ!)
  
結局、戦争で何もかもなくして何とか日本にたどり着き、貧乏して貧乏して生き延びたらしいけど、
そんなのって珍しいことじゃないんだねぇ・・・って、
こんなこともこの数年で初めて知ったんだけど。
 
664 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/11(木) 00:29:27  
↑一緒の部屋で寝た仲間も×
 一緒の部屋で寝た仲間の子孫も○
 
665 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/11(木) 00:31:25  
祖父は海軍陸戦隊少尉として、激戦地ニューギニアへ行ったらしい。
終戦時には戦死の通知だけが家に届いたそうだ。
 
ところが、3年後に生きてひょっこり帰ってきた。親父も祖母も随分びっくりしたらしい。
帰国後は定年まで刑務所の看守を務めた。
また、生前は銃創や戦地の写真をよく見せてくれた。
そういや、火薬と信管抜いた手榴弾をもらったっけなぁ。 すげー重いの。
 
666 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/11(木) 00:32:08  
父方の爺様 
大日本帝国海軍の通信兵として、沖縄や台湾に行っていたらしい。
沖縄では、隠し子がいるとかなんとかという噂もあったらしいが、詳しいことは知らないww
結局、台湾で終戦を迎え、誰か偉いさんと知り合いだったために一番早く帰ってきたらしい。
復員して、県庁職員試験を受けるも日程を間違えて刑務官にww
日程を間違えても試験を受けさせてくれるとは大らかな時代でもあったのかも。
ちなみに、曽祖父も刑務官で俺の親父も刑務官。
10年前に他界。 もう少し、戦争の時の話を聞いておけばよかったなぁ。
 
父方の爺様の弟
優秀であったらしく、大日本帝国陸軍士官学校を卒業して満州へ。
満州終戦を迎えるも、ソ連に捕まり4年間のシベリア抑留。
丸紅の会長が同じ収容所だったらしい。 帰国後、中央大学に入り検事に。
東京地検特捜本部長などを務めた。 今は、悠々自適に我が一族のルーツを探ってるww
 
667 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/11(木) 00:32:22  
死んだ爺さんは第13師団の輜重兵だった。 日華事変で召集され、上海→南京→武漢と転戦した。
いわゆる南京大虐殺にも遭遇してるはず。 もっともそんな話は聞いたことないが。
いったん除隊したが戦局悪化により再度召集。 だが今度は出征を免れた。
 
668 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/11(木) 00:49:03  
父方の婆様
瀬戸内海の小豆島生まれ。学校を出て、島にある海軍の事務所で働いていた。
戦争が始まったとき、島の年寄りは口々に「アメリカに勝てるわけが無い。」と言っていたらしい。
若い人だけが興奮していたそうだ。
田舎なので、食料に困ったことは無かったそうだ。
戦争も終りに近づくと、瀬戸内海にまでグラマンが来て、漁船に向かって機銃掃射していたらしい。
ある日、海軍の新兵訓練船が機銃掃射されて、基地に戻ってきた。
看護婦の助手もやっていた婆様は、けが人の手当てをしたらしい。
「その時の新兵は、まだ毛も生えそろって無かった」と言ってた。
重傷を負った少年兵は皆「おかーちゃん・・・」と母親を呼んで死んだそうだ。
大人の中には「天皇陛下万歳!」と言って死んだ人もいたらしい。
高松へ行った時に空襲に遭ったこともあると言ってたな。
114銀行本店から築港までダッシュしたらしい(ローカルネタでスマソ)
3年前に他界。 婆様からももっと聞いておけばよかったな・・・。
 
669 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/11(木) 00:49:29    
じーちゃんは蘇州で戦ってたらしい。 よく蘇州夜曲を歌ってくれたよ。
 
670 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/11(木) 01:01:45  
うちの爺ちゃんは、内地で本土決戦に備えていた。 そんな爺ちゃんが話してくれたこと。
 
1.もともと写真好きで一脚を使ってよく撮影をしていたんで機関銃の打ち方が巧いと
  誉められたとか。
2.セロハンを使って泥水でご飯を炊く方法
3.配属された秩父で婆ちゃんと出会う→恋愛結婚
4.山の中を仲間と行軍中、道に迷う。そのまま夜になって、森の中に明かりを発見。
  その家の老婆に泊めてもらう。 鬼婆のような容姿の老婆に「犬鍋」を勧められるが、
  怖くて誰も箸をつけることができず。 翌朝、逃げるようにその家を後にしたと。
  爺ちゃん曰く「取って食われるかと思ったよwww」
 
最後のはまるで日本昔ばなしのようだ。
あと、最近さらりと首相の靖国参拝について聞いたら、反対だって。
理由は友達が幾人も南方で死んだからだって。 戦争中、爺ちゃんは確か10代。
自分は内地に配属されたから良かったけど、国外だったらどうなってたか判らないって言ってた。
 
671 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/11(木) 01:04:24   
シナ事変に軍曹として行ってたみたい。 太平洋はわからん。
死ぬ前に話色々聞きたかったよ。 まぁ一歳になる前に亡くなったんだけど。
 
672 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/11(木) 01:12:28  
>>636 石原閣下本人も子供の頃、Pコロの機銃掃射に遭遇したらしいぞ
もうダメボと思ったら疾風が迎撃に出てきて助かったとか。
 
その時の疾風に描かれた日の丸が忘れられないとどっかで見た希ガス
 
673 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/11(木) 01:15:47  
>670 間違エタ━━━━━(((( ;゚Д゚)))━━━━━━ッ !!!
  
首相の靖国参拝の件じゃなくて
A級戦犯合祀について聞いたんだった!!
靖国には爺ちゃんの友達いるってば(アワワ・・・)
 
寝る前に気づいてヨカッタヨ
眠いと駄目ダ
オヤスミ・・・zzzz
 
674 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/11(木) 01:20:23  
わが大君に 召されたる
生命はえある 朝ぼらけ
たたえて送る 一億の 
歓呼は高く 天を衝く 
いざ征け つわもの 日本男児

華と咲く身の 感激を
戎衣の胸に 引き緊めて 
正義の軍の 行くところ 
たれか阻まん その歩武を 
いざ征け つわもの 日本男児
 
675 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/11(木) 01:23:44  
うちの親戚の爺ちゃん。 20歳に出征して大連へ。
その後ビルマ(現ミャンマー)に行き連合軍と戦闘中に胸を撃たれ瀕死の重傷を負い帰還。
今でも胸の中に弾が入っているよと笑いながら話してくれた。
 
あと、夜中に食堂に忍び込んでメシをつまみ食いしたとか、
現地の人にビルマ語をいろいろ教えてもらったとか。
戦地では苦しいこともあったが楽しいこともあったということが分かった。
 
ただ爺ちゃん、牟田口廉也を英雄視するのはどうかとおもうよ・・・。
 
676 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/11(木) 01:28:10  
銃の解体してもう一回組み立てるって時にネジいっつも一個余って
上官の確認のときにいつも口の中に隠してたって聞いてほのぼのしたな。
まぁ全部叔父とおふくろから伝わって聞いた話だけど。
 
677 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/11(木) 01:38:19  
ウチの爺ちゃんは現在92歳、『汐風』→『潮』の掌砲長やってた。
雪風の寺内艦長とも面識あり、豪快な性格な人だったそうだ。
フィリピンのスリガオ海峡海戦で味方の巡洋艦阿武隈に誤射されたとか・・・。
 
船の修理もさせて貰えず、終戦は横須賀で迎えた。
こないだ軍刀2本と短剣1本見せてもらったよ、今でもピカピカだった。
あまり戦争については多く語らないな。
慰安婦(売春婦?)の居る汚い小屋が寄港地にあったと言ってるが、
不衛生だったし興味が無いので入らなかったそうだ。
 
そんな爺ちゃんを誇りに思う。
 
678 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/11(木) 02:07:59  
このスレ見てふと戦争関連のページを見ていたが
ttp://wwwi.netwave.or.jp/~mot-take/jhistd/image/136.jpg
この写真いつ見ても心が痛む・・・
 
679 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/11(木) 02:36:14  
自分の祖母の兄は満州で戦死したそうです、赤紙が来たとき部屋にこもって
「ついに来たか。」っと言って部屋にこもったことを、今でも祖母は忘れないそうです。
 
680 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/11(木) 02:44:15  
中国人の首を切り落としてたようだ
じーさんの死後、天井裏からそういう写真がでてきた
 
681 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/11(木) 02:56:36  
母方の祖父は動物が好きでいろいろ飼っていたらしい。
馬も飼っていたんだけど戦争に使うからとりあげられた。
で、支那に行った時に偶然その飼ってた馬に会ったんだってさ。 嘘のようなホントの話
去年他界しました;;
 
父方は戦争知らないそうです。 ただのボケ老人です
 
683 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/11(木) 14:04:28  
おれのじいちゃん、原爆投下の3日前、選抜された二人と一緒に広島の陸軍被服厰(ひふくしょう)
から、徳山の陸軍被服厰へ移動。 残りの職員は全滅でした。
 
684 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/11(木) 14:23:06  
婆ちゃんは今でも「ニッポンは神国」って言います。
 
686 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/11(木) 18:45:22  
うちのじーちゃんは中支派遣軍っていってたけど何してたかよくわからん。
流れ弾にあたったっていってたから向こうが攻撃してきたのはわかるが。
 
687 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/11(木) 18:46:15  
うちの叔父
・大正10年生まれ。 陸軍に入隊
・陸軍学校時代、同室の男に誘惑され皆が寝静まった後に厨房に残飯をあさりに行くが
 教官に見つかり、後に後遺症が残るほど靴で殴られまくる。
・幹部候補の試験に猛勉強の末合格。 殴られた教官から見直され涙を流す。
・現在の平壌に派兵。 最前戦での経験はなし。 後方で連絡舞台として従軍。
 後に中尉まで出世する。 また強制的な慰安婦制度などなかったと、叔父は言い切ってます!!
終戦を迎えソ連軍に捕まる。
ソ連兵より「今から日本に帰すから船に乗れ」と言われ安堵。
 しかし船は何故か北へ北へと向かう。
・日本に着くはずの船が何故かウラジオストックに入港。
 そこで軍刀など全て没収され、 初めて捕虜にされたことを知る。
シベリア鉄道で抑留地まで1ヶ月あまりを鉄道の中で過ごす。 便は列車から垂れ流し状態。
  
688 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/11(木) 18:48:57  
>>687の続き
・抑留生活開始。毎日8キロ先にある白樺の木を方に担ぎ、2、3往復する毎日。
・就寝場所は先日のシベリア抑留のテレビであったような建物の中ではなく、洞窟の中。 
 当然風呂もなく、電気もない。
・抑留生活じたいは辛い体験だったが、ソ連兵は非常に親切だった。
 ドイツ兵も同時に捕虜になっていたが、とても日本兵とフレンドリーだったようだ。
・3年の月日が流れ、ようやく解放される。 日本へ帰国。
ソ連兵から日本は焦土と化したと聞かされていたため、絶望の中で帰国を果たすが、
 何故か日本は戦前よりも活気があり焦土などされてなく、ソ連兵の言葉が嘘だと気づく。
・帰国後、酒屋を営み、妻をめとり、子もできた。 贅沢ではないが幸せな生活を送る。
・うちの叔父は3年間しか兵役を勤めていないために軍事年金はなし。 
 抑留時代は兵役には含まれないとの事。
・しかし、不満も垂らさず、いつも元気に今現在を迎えている。
 
690 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/11(木) 18:52:19  
父方爺 大学の先生やってて忙しくて行けなかったらしい
母方爺 医者やってて忙しくて行けなかったらしい
 
691 : :2005/08/11(木) 18:54:41  
母方の爺が衛生兵。 どこで戦ったかは不明。
勲章を幾つも貰ってるらしい。 今度、見に行ってみる。 やっぱ15日がいいのかな。。。?
 
692 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/11(木) 18:58:06  
もう死んだけど、爺ヤンは今で言う「諜報員」みたいな事してたって婆ちゃんが言ってた。
それも戦後爺ちゃんの告白で婆ちゃんも初めて知ったとか。
興味があったから色々調べたら陸軍中野学校卒という事が分かった。
ほんまもんのスパイだった爺ちゃんに生きてるうちに話を聞けなかった事はとても残念だな。
まっ生きてても何をしてたかなんかは話してはもらえんやろうけど。
 
693 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/11(木) 19:04:10  
>>691 どうしょう(←何故か変換できない)ってどうするともらえるの?
 
694 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/11(木) 19:10:01  
大陸に行ってた爺
酒に酔ったある日、首をはねるのがうまかったと自慢した 見る眼が変わっちゃった
 
695 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/11(木) 19:11:15  
>>693 (;^ω^) おもすれー
  
696 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/11(木) 19:14:42  
>>693 佐官級の軍人なら感状と一緒に勲章も与えられるって聞いたけど、
一般兵ならやっぱり仲間を多く救った時とかじゃないの?
相手を多く殺す事よりも、自分の命かけてでも仲間を救うって事に重きをおいていたと思う。
それはいつの時代も変わらんのやろうけど。
ちなみにうちの爺ちゃんは工作員やったみたいやしそういう類の物は一切無いよ。
満州と上海で使ってた高価な茶器だけw
 
697 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/11(木) 19:16:38  
母方の祖父は陸軍の下っ端だったらしい
ほとんど戦中の事は語らないがゴミの様な扱いだったらしい  語りたくないのも無理は無い。
 
699 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/11(木) 20:56:45  
うちの祖母は満州で軍のタイプ打ちしていたって言ってた
なんか一般サラリーマンの3倍近い金貰ってたらしい
 
700 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/11(木) 21:36:23  
>>692 陸軍中野学校って超エリートがいく学校では? 戦後見つかった小野田さんもそうだ。
 
701 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/11(木) 21:41:19  
俺のじいちゃん空母赤城に乗ってミッドウエー作戦に参加したのだが
敵の爆弾が命中して、船の中は阿鼻叫喚の地獄絵図だそうだ。
じいちゃんはミッドウエー島を攻撃してから戻ってきたばかりで、じいちゃんの搭乗機も補給と
爆弾の装填作業をしている時にアメリカの攻撃があったから、艦上爆撃機はメチャメチャになり、
火薬庫まで引火爆発、命からがら海に飛び込んで味方の駆逐艦に救われたそうだ。
後で、索敵さえ十分に行っていたら、最初から敵空母部隊を叩けたろうにと残念がっていた。
じいちゃんは、悪運強く、各地を転戦して最後は鹿児島で終戦を迎えた。
じいちゃんだいぶ弱ってきたけど、まだ外歩き回ってる。
まだまだ長生きして戦争の事僕らにきかせてね。
 
703 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/11(木) 21:44:09  
>>700 今の防衛大学みたいなもんか?
  
704 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/11(木) 21:49:20  
>>675と同じくうちの爺さんもビルマに行ってた。
やっぱり現地の人と交流をしてたらしく、爺ちゃんが魚を釣っては果物などと交換したり
してたそうな。 死ぬ前にミャンマーに1度連れて行ってあげたかったな(´・ω・`)
 
705 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/11(木) 21:50:40  
うちのじいちゃんは満州に行ってたらしい
 
706 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/11(木) 21:55:48  
父方…満鉄の駅長
母方…日本鉱業鉱山技師(大陸〜台湾うろうろ)
義父方…満州で警察〜シベリヤ抑留〜生きて帰ってくる
義母方…久留米の「呂」。砲兵。生還。
 
707 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/11(木) 21:55:57  
母方の爺さんは満州の方にいってて、騎馬兵かなんかで馬に乗ってたらしい。
寒かったから馬の世話がたいへんだったって言ってた。 それと馬乗ってると痔になるんだって。
 
仲間の部隊の連中と一晩中山の中を逃げ回って、朝になったら2,3人しか居なかったとも言ってた。
シベリアにも抑留されてそうとう辛かったらしく当時のことはあまり話してくれなかった。
生きてる内にもっと話を聞いとくべきだったなぁ。
 
708 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/11(木) 21:56:28  
>>688 >シベリア抑留のテレビ
ってNHKでやってた奴か? 俺の爺様の弟はあそこにいたらしい。
この前会ったとき、この春大学に入った妹に「○○ちゃんも大学生かぁ。
おじさんが19の頃はシベリアできこりやってたからなぁ。 ははは」と言ってたな。
 
709 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/11(木) 21:59:12  
海軍で訓練中に終戦。 ボートに乗ったこともないとか。 もちろん出撃もナシ
 
710 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/11(木) 21:59:58  
>>703 当時の花形だろうからもっと難易度高いんじゃないの?
叔父が士官学校卒だけど、県で五指に入るくらい成績が優秀だったらしい。
 
711 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/11(木) 22:01:05  
もし今戦争になったとしてもじーさんと同じ事ができるとはとても思えない。
やっぱ尊敬するわじーさん。
 
714 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/11(木) 22:02:43  
うちのジジイは2・26事件の部隊ですよ。
青年将校のとばっちりくらって部隊は即、満州送りの最前線。
満州でロシアの押さえに残ってたら、沖縄決戦で配属変え。
宮古島にこもって敵の上陸に備えたが、上陸なくて終戦。 運が良かった。
 
715 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/11(木) 22:02:58  
>>710 中野学校
ttp://www.geocities.co.jp/WallStreet/2687/siryo/siryo10.html  スパイ養成学校かな?
 
716 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/11(木) 22:03:52  
当時の士官学校ってのは今の東大法学部以上のエリートだろ。
 
717 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/11(木) 22:09:44  
>>715 口外禁止か… 忍術ならうし凄いね。
 
719 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/12(金) 10:37:51  
この前小野田さんの本読んだけど、見つかる何年か前までもう一人生きてたんだよな。
現地人との撃ち合いかなんかで死んだって書いてあってビックリした。
 
721 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/12(金) 21:57:02  
うちのじいちゃん、日系の米兵だった。 沖縄戦で日本軍に投降を呼びかけていたが
なかなか応じてくれないととても悲しんでいた。 サイパンも同様だった。
民間人が集団自決をしたり崖から飛び降りるのを見て戦争がいかに虚しいものかを感じたそうだ。
中でも洞窟の中にたてこもるのに火炎放射をかけるのはむごいとも言っていた。
ここに書いてある爺様のも方々はみな戦争はそう感じていると思う。
終戦の日も近いが勝っても負けても人が虫けらのよう死んでいく戦争はいやだと言いたい。
 
722 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/12(金) 21:59:22  
野菜は戦中に嫌になるほど食ったので、肉と魚をくわせろとよういうとった
 
723 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/12(金) 22:03:51  
フィリピンで戦死
 
725 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/13(土) 08:18:08  
酒飲むと、満面の笑みで支那人の首を跳ねた時の事を自慢してます。 階級は少尉だったかな?
 
726 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/13(土) 08:44:04  
爺さんは海軍だったそうです、水兵姿で写真に写っている爺さんの帽子の帯には
大日本帝国海軍戦艦山城と書いてありました。 
この軍艦の最後はどんなだったのかは分かりません。
 
727 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/13(土) 08:46:36  
うちの爺さんは、あと1週間戦争が長引いたら神風特攻だったらしい。
当時のアルバムを見てたら、すでに特攻した人の最後の手紙とか一筆みたいなのがたくさんあった。
 
728 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/13(土) 08:48:52  
うちのとうちゃん、終戦時に神風特攻の待ち行列に並んでいたらしい。
 
729 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/13(土) 09:01:45  
>>726 こんな感じ
ttp://www.geocities.jp/p51musutangu/yamashiro.html
 
730 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/13(土) 09:34:22  
海南島で大砲(?)整備してたらしい  もっと詳しく聞きたかった。゜(゜´Д`゜)゜。
 
731 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/13(土) 09:39:05  
所属部隊とかの関係で自分の家系は全員生きて帰ってきた。
 
732 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/13(土) 09:45:15  
ひいじいちゃんが樺太で警察官やってた。
いっつもつかまるのは呼んでもないのに勝手に樺太に来た朝鮮人
派出所と自宅がくっていてて、侍女を雇っていたとか。
定期船で送られる果物近くの山の蔵にしまっていて、よく祖母が食べていたとさ。
そして、終戦直後のソ連侵攻の時に朝鮮人に助けられて日本に帰れたってさ。
 
733 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/13(土) 09:51:31  
うちの爺様は鉄砲も軍刀ももらえず、相手から奪えって言われて戦場歩いてたってよ
怖いから逃げ隠れして、トラック見つけて乗せてもらって家に着いたら
自分の遺影と戦死報告?が飾ってあったそうな チキンだが生き延びたことは褒めよう
 
734 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/13(土) 10:06:35  
中国で耳の横で銃弾が破裂して大怪我して帰国。右耳が聞こえないって言ってた。
一昨年94歳で大往生。
 
735 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/13(土) 10:11:13  
勲一等持ってる
 
736 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/13(土) 10:12:54  
道教えてたって言ってた。 今も代々続いてるけど。
 
738 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/13(土) 11:52:45  
満州金日成のゲリラと戦ってたとか言ってたから匪賊とでも戦ってたのか。
そのあと召集解除で横浜に戻って工場で指導してたらなんと恋愛結婚、昭和20年なのに。
でも結婚して半月で大空襲、家はパン屋だったが全焼。
隣の漬物屋に爆弾が直撃して辺り一面に沢庵のにおいが立ち込めてたとか、
煙突のせいだか知らんがやたらと水飴工場が狙われたとか。
死体を埋めるのもやったらしいんだが駅の階段で折り重なるようにものすごい数が死んでたらしい。
 
741 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/13(土) 21:59:44  
俺のひいじいさんは旗本として維新の時に榎本武揚に従って函館の五稜郭に立てこもった
幕府軍の一員で、土方歳三が鉄砲に集中砲火を浴びるのを間近で見た一人であった。
ひいじいさんは降伏後に収監されたが釈放後に創設されたばかりの陸軍に入って西南戦争にも
従軍した。 昭和の初めに大往生した。 ひいじいさんの日記と従軍記は私の宝物です。
激動の日本を生き抜いた男の生き様として見習いたいものです。
 
 
*残念ながらここで過去ログ倉庫
 
 
 
 
 
 
 

          /^l'"'"~/^i'ツ'
⌒_⌒)      ヽ゛          ヾ 
        ミ ´ ∀ `      彡         (⌒_⌒_)
       ッ       _    ミ
        彡,.     (,,_,ノ  _,,.ヽ
         ヾ  ヽ V  /   У
          ヽ` ー |--― ' /      (⌒_⌒_⌒_)
              |
          ハ,_,ハル ハ,_,ハ
         ,:'´∀`';|,:'´∀`';
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