裏話

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【京都】京都への原爆は、なぜ避けられたのか 立命館で講演会

 
 
1 :シガテラな本屋さんφ ★ :2007/01/22(月) 21:44:37

◇安斎館長が講演
 
親子向けの企画講演会「京都への原爆投下計画―それはなぜ避けられたか」が20日
北区の立命館大国際平和ミュージアムであった。
同館の安斎育郎館長が講演し、親子連れら約80人が、放射能とはどんなものか、
原爆を落とす目標はどう決められたのかなどについて聴き入った。
 
講演で、安斎館長は「放射線から身を守ることを考える『放射線防護学』が専門」と自己紹介。
目覚まし時計の夜光塗料や冷蔵庫の消臭剤に放射性物質が含まれていることを
ガイガーカウンターを当てて実演。 身近なものからも出ていることに注意を呼びかけた。
 
また、原爆投下の第1目標は広島よりも京都だったのに、結局は投下されなかったのは
「古い文化を守るため避けたとの通説だが、御所のある京都を壊滅させれば
 『天皇陛下のために』戦っていた日本人の心が反米・親ソ連に傾くことを恐れたからだ」と指摘した。
終戦直後、京都に「第3の原爆が落ちる」といううわさが広まり、京都帝大(当時)の学者が、
被害を観測しようと準備した逸話を紹介し
「科学は『両刃の剣』。 科学者に任せればいい、というのは危ない。
 核兵器原子力発電は同じ技術でできる。どう使おうとしているかを監視する必要がある」
と、得意のマジックを交えて呼びかけた。(抜粋)
ttp://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20070121-00000206-mailo-l26

7 :名無しさん@七周年:2007/01/22(月) 21:46:53  
>>1  ヒント:造船所
 
10 :名無しさん@七周年:2007/01/22(月) 21:48:14  
つーか、アメ公の気まぐれを一々分析しても意味ねーってw
 
12 :名無しさん@七周年:2007/01/22(月) 21:48:35  
>御所のある京都を壊滅させれば『天皇陛下のために』戦っていた日本人の心が
>反米・親ソ連に傾くことを恐れたからだ」と指摘した。
 
これよく聞くけどさ、単に天気が悪かっただけだじゃない?
東京にも天皇居たし、文化財だって一杯あったろうに。
 
15 :名無しさん@七周年:2007/01/22(月) 21:52:07  
これね、フォンノイマンの生涯という本に載ってるよ
 
ヘンリースチムソンが猛反対したから
「仏教と神道の聖地である京都に原爆を落とすのは
 ローマやフィレンツェアテネを焼け野原にするようなものですぞ、
 アジアに平和が戻ってもこの先50年わが国は総スカンをくらいます・・・」
 
17 :名無しさん@七周年:2007/01/22(月) 21:52:56  
あれ、京都って空襲されたの? 知らなかった…
 
21 :名無しさん@七周年:2007/01/22(月) 21:55:16  
主要都市のどこに何があるかみんなわかってて、
洋系の病院なんかをちゃんと避けて焼夷弾落としてた
 
27 :名無しさん@七周年:2007/01/22(月) 21:58:59  
日本全土に御所をおけば解決
 
28 :名無しさん@七周年:2007/01/22(月) 22:00:05  
小倉が悪天で免れ、長崎に落ちたのは広く知られてるし。
原爆の観測の為に爆撃を控えていただけだろう。
 
と言いたいとこだが、奴らがやる事はよくわからんよ。
ドイツ爆撃でもルガーの工場を避けたという逸話があるしな。 真意は定かではないが
ルガーは単なる拳銃にあらず、人類の芸術品である との理由からだったとか。
 
29 :名無しさん@七周年:2007/01/22(月) 22:00:13  
>>17 西陣に何発か落とされたらしいよ
 
33 :名無しさん@七周年:2007/01/22(月) 22:01:54  
>古い文化を守るため避けたとの通説
戦後、敗戦で落ち込んだ日本人を励ますための捏造話。
 
45 :名無しさん@七周年:2007/01/22(月) 22:13:33  
>>15 当時の国務長官だっけか、副長官だっけか。
FDRの片腕のリベラル・ニューディール左派やねえ。
マッカーシズムでこの一派は全部粛正されるんだよ。
 
48 :名無しさん@七周年:2007/01/22(月) 22:14:39  
安斎育郎さんとソラミミの安斎肇さんが親戚と知ってびっくり
 
49 :名無しさん@七周年:2007/01/22(月) 22:15:19  
アインシュタインが京都への投下を強力に主張したのだが、
広島の方が試験対象として適していたので却下された。
 
52 :名無しさん@七周年:2007/01/22(月) 22:17:02  
>>49 純粋に科学的見地から「盆地」が適しているかどうかが争点だったんじゃなかったか。
 
53 :名無しさん@七周年:2007/01/22(月) 22:17:06  
>>28 ないでしょ? ドレスデンの壺割りまくったわけだし
 
56 :えICBM:2007/01/22(月) 22:18:42  
東京への空襲でも御所への爆撃は厳禁されていたからわからんでも無い。
 
59 :名無しさん@七周年:2007/01/22(月) 22:19:01  
試験的な要素もあったから、破壊力を正確に調べるためにほとんど空爆してない都市を選んだ。
既に焼け野原の東京や大阪に落としても、原爆による破壊かそれ以前から潰れてたが判らないからね。
 
63 :名無しさん@七周年:2007/01/22(月) 22:20:59  
>>53 だよな。
ルガーなんざ、粗悪な工業製品だ。 トグル・アクションなんざ、失敗作以外の何物でもない。
事実として、現在、同じ方式の拳銃は開発されていない。
ブローニングのショート・リコイル方式の銃はあまた開発されているというのに。
 
ドレスデン青磁は、究極の芸術だというのに。
 
64 :名無しさん@七周年:2007/01/22(月) 22:21:32  
>>49 アインシュタインじゃなかっただろ…
日本のアイデンティティである文化財を壊せば、
流石に統治する際に影響が出るからっていうのが本当。
日本人を完全に意気消沈させようと強硬に京都に落とすべきと主張してた奴も確かにいた
どっちにしろアメリカの都合
 
68 :名無しさん@七周年:2007/01/22(月) 22:22:34  
>>52 京都はむしろ碁盤目の都市構造が原爆の効果を確認するのに最適とされた。
その為に昭和20年になってからは通常の空襲を禁止された。
一方で原爆投下の予行の為に梅小路車庫目掛けて何発ものパンプキン爆弾が投下された。
 
69 :名無しさん@七周年:2007/01/22(月) 22:23:03  
文化財保護したという説を信じている人は、ドレスデン爆撃の目的と結果を知った方がいい
 
74 :名無しさん@七周年:2007/01/22(月) 22:24:10  
新潟の市長か県知事は、長崎に原爆が落ちた辺りで
「通常爆撃されていない有力地方都市が狙われる。 次は新潟の可能性大!」
って危機感を持って、少数の公務員を除く全市民を物凄い勢いで郊外に退避させた。
北杜夫の「楡家の人々」でも、
松本に原爆が落ちるという噂が飛んで、子供だけでも郊外に預けに行く下りがある。
 
原爆落とされた段階で、日本の継戦能力は無くなってたんだよ。
もう、都市と名のつく場所では市民生活、産業活動は不可能になっていた。
 
75 :名無しさん@七周年:2007/01/22(月) 22:26:30  
>>74 継戦能力があったのは昭和19年末まで。 昭和20年は悲惨。
 
77 :名無しさん@七周年:2007/01/22(月) 22:26:55  
文化財云々言い出したら奈良なんかどうなる。
奈良駅舎には未だに米軍による銃痕跡が生々しく残ってる。
 
85 :名無しさん@七周年:2007/01/22(月) 22:37:17  
アメリカ人は長崎は知らないよ。 なぜなら、教会の十字架に爆弾を落としたんだ。
後でごまかすため、爆心地で無い所に平和公園を作った。
長崎組の兵士には精神的におかしくなったものも多い。 兵士にカトリックの信者が多かったため。
それもあって、終わりにしようとアメリカも考えた。
原爆が十字架にすいこまれるように落ちたそうだ。
実はファティマの予言にこのことが予言されてたそうだ。
 
93 :名無しさん@七周年:2007/01/22(月) 22:42:17  
京都は一旦原爆目標からはずれたが、8月に入り再び原爆の目標となった。
投下予定地点は京都駅の西側にある梅大路機関庫。 特殊な形状のため上空からも識別可能。
広島も上空から識別可能なT字型の橋が選ばれた。
そして8月13日には原爆投下のリハーサルが実施され
B29が紀伊半島から京都上空に侵入しUターンした。
しかし8月15日。 ポツダム宣言を受諾したため原爆は投下されなかった。
文化財を守るというのは嘘。
 
95 :名無しさん@七周年:2007/01/22(月) 22:42:55  
名古屋城は焼いちゃったくせに!
 
101 :名無しさん@七周年:2007/01/22(月) 22:48:02  
風船爆弾は意外と効果があったんだよね。 戦後は隠されてたけど
 
105 :名無しさん@七周年:2007/01/22(月) 22:51:38  
俺んちの近所に模擬原爆が投下された。
 
106 :名無しさん@七周年:2007/01/22(月) 22:51:54  
ファティマの予言というのは、イタリアだったかで子供がマリア様を見たと大騒ぎになった予言。
子供を通して「ローマ教皇」へ予言を伝えたが、「人類滅亡の予言」だった。
ということで、バチカンで封印してるが、
「第二次大戦」と「原爆投下」の予言はすでに適中している。
その中で、キリストに原爆を落とすという予言があるらしい。
浦上天主堂は、爆撃予定地では無かった。
まあ信じられない話だが、キリスト教徒には影響あるので、今だアメリカでは封印されてる話だ。
 
108 :名無しさん@七周年:2007/01/22(月) 22:52:53  
「間違われて」空襲を逃れた街がある───そう、さいたまさいたま(浦和)である
米軍は浦和市を埼玉県の県庁所在地と思わなかった
もっと他に栄えている市街地があったからだ
 
昭和二十年八月十四日「熊谷大空襲」
B-29焼夷弾が降り注ぐ 住宅の三分の二焼失、死傷者三千余人
 
戦後、埼玉に進駐した米軍は驚いてこう言った
「ク マ ガ ヤ が 県 庁 所 在 地 で は な か っ た の か !?」
 
113 :名無しさん@七周年:2007/01/22(月) 22:53:46  
御苑の地下には巨大シェルターが埋まっているのだ。 迎撃用の兵器も備えている。
 
127 :イタイケナ厨房:2007/01/22(月) 23:05:32  
京都タワーは和ろうそくを模していると聞きました。。
 
129 :名無しさん@七周年:2007/01/22(月) 23:10:23  
長崎はカトリックの聖地。 アメリカ人と同じキリスト教徒だ。
そして原爆を落とした浦上天主堂は、カトリックの教会の中でも位が高い。
そこに落とすんだから、文化財に落とすのも簡単。
 
142 :名無しさん@七周年:2007/01/22(月) 23:30:50  
広島は朝8:15に落ちてんだから天候云々は関係なかろ
長崎のは、小倉の天候が原因だったが
 
152 :名無しさん@七周年:2007/01/22(月) 23:57:05  
原爆投下目標都市 京都 横浜 広島 小倉 新潟 長崎。
 
京都、広島は街の地形が原爆の破壊力が理想的との条件で最初から第一候補として選ばれてた
選考で外されたのが横浜、新潟。
京都は当時、日本に残る最後の手付かずの大都市として、最後の最後まで残しておいたら
終戦になってしまい救われたのが事実、偶然の不幸が重なったのが長崎。
 
別の説だと8月16日に東京に投下する準備もしていたとの話もある。
 
160 :名無しさん@七周年:2007/01/23(火) 00:10:54  
>>142  エノラ・ゲイの1時間前に天候観測用のストレート・フラッシュ(ふざけた名前だ)が
やって来て、目視攻撃が可能な事を確認している。
この時広島では空襲警報が発令されて市民は防空壕に避難したが、警報が解除されて出て来た所で
やって来たB29から投下されたピカドンに多くの市民が犠牲になった。
中沢啓治の「はだしのゲン」によれば、この先行した気象観測機の名前は
「イーザー・リイ号」となっているが、それは誤りで、機長の名前がクロード・イーザリー少佐だ。
また「はだしのゲン」では「リトル・ボーイ」のことを「ノッポ」とも書いているが、
これは誤りだか何だか分からない。
 
はだしのゲン」ではB29が2機編隊で飛来して「広島市天原爆投下よし!」と
無線連絡をとり合うシーンがあって昔はこれがエノラ・ゲイと思い込んでいたんだが、
これが気象観測機なんだ。
二機編隊なのはちょっと怪しい。
エノラ・ゲイ号は広島の原爆投下時には科学観測機・写真撮影機とともに計3期で飛来しており、
3日後の長崎攻撃時には小倉の気象観測機としても出動している。
紛らわしい描き方なので、中沢啓治氏は共産党の党員ではなく、支持者だというのが
もっぱらの噂である。 どうでもいいムダ知識。
 
はだしのゲン」は名作だから、おまいらも読め。
 
164 :名無しさん@七周年:2007/01/23(火) 00:14:36  
>>160 この時撮影された原爆投下時のカラーフィルムはテニアン基地で現像に失敗したため
残っていない事になっている。
 
165 :名無しさん@七周年:2007/01/23(火) 00:16:23  
>>164 あれ? じゃああのきのこ雲の映像は?
つうか現像に失敗したんじゃなくてピカのときに感光しちゃったんじゃないのか?
 
170 :名無しさん@七周年:2007/01/23(火) 00:22:08  
>>165 あのよく出てくる白黒のヤツはおれにもよく分からない。
二人が撮影していたのか、別の場所のなのか。 長崎のじゃないかと思っていつも見ている。
 
175 :名無しさん@七周年:2007/01/23(火) 00:36:32  
>>170 あれは観測機に乗っていた学者が個人的に撮影したもの。
カラー現像に失敗したので知らない間に歴史的な写真になった。
 
176 :名無しさん@七周年:2007/01/23(火) 00:36:45  
父親が京都爆撃時になぜか屋根に登ってたそうだ。
B29の爆弾倉の扉が開いて爆弾が機体を離れた時、自分のところに落ちると思ったらしいが外れた
京都の原爆目標は、京都駅近くの梅小路機関区の扇形機関庫だったらしい
父親の住んでたのは山陰線の二条駅の東側だから目標からも近いな
本人も命拾いしたが、漏れもこの世に生まれることが出来た
 
あと勤労動員で梅津の島津製作所で魚雷部品作ってたらしい
市内のあちこちで当時は軍のもの作ってたと言ってたな
古都だからと言って軍需工場が無いわけではなかった
みんないつ本格的に空襲受けてもおかしくないと覚悟してたそうな
 
179 :名無しさん@七周年:2007/01/23(火) 00:49:38  
名古屋がきれいな碁盤目状になったのは戦後
完全な碁盤目状の札幌は、米人クラークへの遠慮から余り落さなかったとか
手稲?の方には落ちたらしいが)
 
180 :名無しさん@七周年:2007/01/23(火) 00:56:19  
>>175 広島のは投下後時間がたってから写したのだと聞いてる。
長崎のに比べて、きのこ雲の形が崩れてるし。
 
219 :名無しさん@七周年:2007/01/23(火) 01:45:25  
立命館平和ミュージアムはなんと入館料を取るんだ。 学生はタダだけど
その割には貧相だ
立命館が戦前御所の警備を買って出たことと梅小路機関区が爆撃目標だったことがわかるよ
 
226 :名無しさん@七周年:2007/01/23(火) 02:01:22  
どこの国だってうそつきまくりだろ? 戦勝国が歴史を作る。 嘘を嘘と見抜けないと騙されるよ。
 
279 :名無しさん@七周年:2007/01/23(火) 06:59:37  
 18 :名無しさん@七周年:2006/12/21(木) 23:05:18  
  604 :名無しさん@京都板じゃないよ :03/06/18 04:43
  荒俣宏の『帝都物語』でも少しバラされてるけど、先の大戦末期に機密勅令によって
  全国の主だった寺社でルーズベルト米大統領調伏のための儀式修法が
  同時一斉に行われたんだよね。
  その時、高野山や東寺でも禁断の大元帥明王法が修された。
  熱田神宮に至っては政府中枢からの相当強硬な圧力により、
  天皇さんや大宮司でも見ることさえかなわぬ草薙神剣がついに開封され、
  大宮司による機密御仕の主依とされたという。
 
  草薙剣の話については、当時の大宮司の孫(あれ?ひ孫だったかも)が大学で同級で
  そいつから詳しく話を聞いたんだが、相当ヤバい話…あまり聞きたくない話だった。
  …で、結果はというと、ルーズベルト、本当に死んじゃったんだよな。
  これが偶然だったのか必然だったのかはともかく、結果として神風だの本土決戦だのを
  本気で妄想する連中を増長させることになったのだけは確かだろう。
 
280 :名無しさん@七周年:2007/01/23(火) 07:02:14  
 43 :名無しさん@七周年:2006/12/21(木) 23:09:34  
 >>18 まず、草薙剣本体の材質について。
 社伝ではかつて一度、新羅僧に盗まれ再び封印された際の『剣』の描写が残っているが、
 再封印後、現代に至るまで御神剣は一切錆を被っていないとの伝説、あくまでも伝説があったが、
 六十年前にその勅儀のために封印が解かれたとき、思わぬ象で伝説の根拠が明らかになった。
 つまり御神剣は「錆びることのありえない素材」=金のムクで、
 もとより剣としての実用に耐えぬ、あくまでも祭祀用の具として造られたと思われる。
 そして最も問題だったのは御神剣の形そのもの。
 社伝では中空の矛のような短銅剣とされていたのだが、
 実際には、とても《剣》とは言いがたい、異様な形状の御体だったという。
 喩えることのできるものがあるならば、国宝・石上神宮七支刀にやや近い、
 というべきだったらしいが、七つに別れたその先が左右に羽根をひろげるが如く長く手を広げ、
 これまた、そもそもこれが《剣》として造られたものでないことを示していたという。
 (ちなみに、後年、俺のその同級生の曽祖父=当時の大宮司は、自らの日記の中で、
  御神剣が七支の形状をなしていた事実と、記紀中のヤマタノオロチより剣がいでたとの
  伝承を結び合わせ、ヤマタノオロチの八つの頭がそのまま草薙神剣の七支の穂先と
  幹の突端になったのではないか、との自説を記しているという。…なるほどね。)
 で、問題の儀式中に起きたことは、大宮司が祭文を唱えるにつれ、
 御体が唸り声のような重い音声をあげたかと思いきや、祭殿の左、西の方角に向けて
 自らいざりはじめ、そのまま震えて祭文を唱え続ける大宮司に代わって、
 御神剣を押しとどめようとした禰宜職が御体に触れた途端、口より青い炎を上げて
 体が燃え上がり、骨も残さず溶けるように一片の黒い炭になってしまったという。
 あまりのことに、神職禰宜らが取り乱す中、何とか祭文をほふり終えた大宮司だったが、
 三ヶ月半後に再び同じ儀式を行うよう命が下った際には、
 さすがにこれを拒み続け、そのまま敗戦を迎えたという。
ttp://news19.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1166709710
 
337 :名無しさん@七周年:2007/01/23(火) 08:49:36  
>時計の夜光塗料や冷蔵庫の消臭剤に放射性物質
>含まれていることをガイガーカウンターを当てて実演。
 
根本特殊化学でググレカス