第二次世界大戦を生きた老人にはすげえ物語がある その1

 
2 :僕も万が一に備えて肛門を洗っています:2006/12/15(金) 17:27:38  
うちの婆ちゃんも大阪大空襲の時に爆弾の中を曾婆ちゃんを助けにいったらしい
 
3 :玉入れ師:2006/12/15(金) 17:27:48  
うちの爺ちゃん長崎と広島で被曝しちゃった
 
4 :番組の途中ですが名無しです :2006/12/15(金) 17:28:40  
爺さんが機銃掃射の丁度スキマに居て助かった。
前後左右に散ってたヤツ数人が被弾して、重傷だったとか。
 
5 :人事担当:2006/12/15(金) 17:28:54  
うちの爺ちゃんは中国行って帰ってきた
 
6 :田中:2006/12/15(金) 17:30:10  
俺のばあちゃん関東大震災も体験したらしい。 
第二次大戦は疎開したのかな。 千葉に住んでるけど。
  
7 :僕も万が一に備えて肛門を洗っています:2006/12/15(金) 17:30:16  
爺ちゃんは艦砲射撃を経験したらしいな
 
9 :韓国に亡命した元朝労働党幹部:2006/12/15(金) 17:31:25  
うちの親父は戦時中、海の向こうでドンドン音がして光るの見たと言ってた
 
11 :予選敗退:2006/12/15(金) 17:31:59  
母方の曾祖父は病弱で召集されなかったらしく、
「国に貢献できなかった...悔しい」みたいな事を死ぬ直前に言ってたな
 
14 :このスレは鬼女に監視されています:2006/12/15(金) 17:33:50  
魚雷で乗ってた船が撃沈されたって父親経由で聞いた 救命ボートが足りなくて大変なことに
 
17 :僕も万が一に備えて肛門を洗っています:2006/12/15(金) 17:34:36  
連合艦隊の観艦式はすごい見物人だったらしい
 
19 :発毛の途中ですがハゲです:2006/12/15(金) 17:35:34  
もれのばーちゃんは、東京で226リアル体験してて、
チチハルで満銀の行員やら満鉄の車掌やってて
帰国後はヤローに混じってシボレーのトラックの運ちゃんやってた
50で習字初めて70には日本習字のエライさん・・・  もう死んじゃったけど。
 
21 :玉入れ師:2006/12/15(金) 17:37:06  
爺ちゃん今82歳なのだが、
一昨日ソープへ行ったら「女の子が嫌がるので」と入店を断られてしもうた。
 
22 :辛口コメンテーター:2006/12/15(金) 17:37:39  
>>1 そうかな?・・・  大戦で生き残った方から話を聞いたら、
「俺は臆病で運が良いから、たまたま生き残った。
 戦場では有能で勇敢な人間から先に死んでいく・・・・」
と言っていた、道理だと思った。  それ以来、武勇伝を語る爺さんは胡散臭くて仕方がない。
 
24 :露出狂:2006/12/15(金) 17:37:49  
俺の親父の友達に門馬さんという人がいるが、満州行った時に抑留されてたからロシア語が堪能で、
何でもモスクワ放送局で働いていて、岡田嘉子には大変良くされたとか
 
26 :ノーマネーでフィニッシュです:2006/12/15(金) 17:38:55  
映画板で見た、プライベートライアンを見てたらじいちゃんが
「こんな弱腰じゃあ勝てんよ」って言ってたって話はワラタ
 
32 :〒□□□-□□□□:2006/12/15(金) 17:39:59  
ウチの爺ちゃんは中島飛行機で戦闘機造ってたらしい
 
34 :ID変わりましたが1です。:2006/12/15(金) 17:41:02  
爺さん婆さんの話として聞くとなんか物凄い遠い話っぽいが、
それを経験した時の年齢って今ここ見てる奴らより若いか、同じ位って考えたら凄いよな。
 
35 :ノー子孫でフィニッシュです:2006/12/15(金) 17:41:26  
婆ちゃんが麻酔なしで盲腸の手術受けたって 痛そ
 
36 :おおすまん、まじすまんな:2006/12/15(金) 17:42:58  
ウチの爺さんはなぜか招集されなかったらしい
 
37 :加害者:2006/12/15(金) 17:43:10  
ウチの両親の仲人やってくれた人は、戦時中南方の島に行ってたのだが、
ある夜、沖に浮上した敵潜水艦を発見。
仲間三人と、日本刀をくわえただけのフンドシ一丁で敵潜水艦に泳ぎつく。
そしたら敵が気づかずハッチを開けたので、そこから突入、敵艦長と副艦長を
日本刀で脅して、乗っ取り拿捕に成功\(^o^)/  そして、勲章を貰ったという話。
 
でもまさかなぁ・・・信じてあげたいけど、何ぼ何でもなぁ・・・(;´Д`)
 
38 :ノーマネーでフィニッシュです:2006/12/15(金) 17:43:21  
正直俺たちの世代ってナヨナヨしてて兵士になれなそうだよな
 
39 :家賃が払えまえせ:2006/12/15(金) 17:43:47  
前にNHK硫黄島特集を見てびびった話がある  あの穴の中でウジ食ってたとか
「食糧やるから出てきなよ」って言ってきた優しそうな米兵を後ろから撃って殺したとか
笑いながらオッチャンが話すのを見て本当にコエーと思った
 
40 :番組の途中ですが名無しです :2006/12/15(金) 17:43:49  
俺の曾じいちゃんフィリッピンやらどっかの戦地から帰ってきた時、脚が腐ってたらしい
 
41 :番組の途中ですが名無しです :2006/12/15(金) 17:43:52  
昔、世界史板に瑞鶴の元乗員の爺さんが降臨してた
 
42 :番組の途中ですが名無しです :2006/12/15(金) 17:44:32  
戦争中も大変だが、戦後何年かもサバイバルの時代だったんじゃないか
 
43 :ф 九十七式ヘタレリーマン ф :2006/12/15(金) 17:44:33  
おれのお爺ちゃん、日本陸軍で唯一部下に歯向かわれて
抗命された将軍なんだって(´・ω・`)
 
47 :野田聖子:2006/12/15(金) 17:46:30  
じいちゃんの話 もう聞けねえよ。  もっと話しすればよっかた・・・・・
 
48 :↓おまえが言うな:2006/12/15(金) 17:46:35  
爺どもは大袈裟に語ってる
 
49 :まだ経験ないんですけど、:2006/12/15(金) 17:46:36  
ウチの爺ちゃん特攻予定の日の何週間か前に戦争終了
 
51 :それが世界の選択でちゅか…!:2006/12/15(金) 17:47:39  
>>47 分かるぞ 興味がわいた頃にはもう・・・
 
53 :加害者:2006/12/15(金) 17:48:28  
>>19 この手のスレで前も書いたけど、ウチのバーちゃんは226事件当時、新婚でヒマしてた。
で、ヤジウマ根性がもたげて赤坂の現場まで雪の中見物に行ったら、歩哨の兵士にブチ切れられて
「お前ら、いいかげんしろーっ!こっちは真剣なんだ!サッサと帰れ!」って、
機関銃を向けられて逃げ帰ったらしいw
 
55 :ф 九十七式ヘタレリーマン ф :2006/12/15(金) 17:49:01  
おれの祖父ちゃん零戦サラトガに突っ込んだ後にも奇跡的に無傷だったんで、
日本刀で艦長を脅してサラトガを鹵獲してそのまま呉まで持って帰ってきたって言ってた。
だから今ビキニ環礁に沈んでるサラトガは偽者だって、
死ぬ直前になって教えてくれた\(^o^)/
 
56 :イスラム原理主義者:2006/12/15(金) 17:49:17  
>>47 俺はばあちゃんだな目が青い理由を聞きたかったよ・・・
 
57 :宣戦布告とみなす:2006/12/15(金) 17:49:37  
家の爺さんはロシアの捕虜になって、シベリアで発電所のタービン埋める穴掘ったって言ってた。
 
59 :番組の途中ですが名無しです :2006/12/15(金) 17:50:23  
俺の爺さんは3回招集されて3回とも無傷で帰ってきた
戦闘らしい戦闘はほとんど経験しなかったらしい。
もっとも3回目は本土決戦に備えて九州で待機中に終戦になったんだけどね。
 
64 :ハマコー:2006/12/15(金) 17:53:15  
>>55 陸軍々人が0戦かよw
  
65 :番組の途中ですが名無しです :2006/12/15(金) 17:54:17  
>>55 よく海軍が仲の悪い陸軍軍人に零戦貸してくれたなw
 
68 :体育会系:2006/12/15(金) 17:55:21  
母方の実家の仏壇に先祖の名前以外の御位牌がありその理由を尋ねた。
じっちゃんが話してくれた話をかいつまんで書くと・・・・
 
徴兵で配属された部隊に同郷の出身者がいて、身の上話をする間柄になってた
戦局も押し迫ったある日、敵の襲撃を受けその部隊は大混乱になり撤退命令が出たのだが、
じっちゃの隊は自軍の速射砲や野砲の破壊破棄を命ぜられ
敵の進撃が間近に迫る中、破壊作業を終えると同時に敵の戦車と兵隊が襲い掛かってきて、
隊はほぼ全滅。 残る日本兵を米兵が撃ち殺し始めた。
 
じっちゃんも戦死を覚悟し、手榴弾で自決攻撃をかけようとした時に同郷の出身者が、
じっちゃんの手から手榴弾をもぎ取り
「俺には嫁も子供も親ももうおらん、俺が突っ込むけん逃げなっせ!」と言い放ち
敵軍の中に突っ込み自爆。
 
敵の一瞬の混乱に乗じて、じっちゃんを含む数名は何とか脱出し、
その後終戦で捕虜収容所から日本に復員し、その同郷の出身者の一族を探したが見つからず
じっちゃんの家の仏壇に入っていただいているとの事。
「あんのとき、あの人がおらんやぅたら○○(戦後に生まれた長男)はおらんやったけん
 ○○はあの人の名前から一字頂戴しとるんよ」
この話を聞いた頃はなんとも感じなかったけど、今思い出してちょっと涙が出てきてしもうた。
 
幸い、当家では父方も母方も戦死した人はいないが、
生き残れたのは多くの戦友の戦死があったからだといい、毎年靖国に参拝していた。
そんなじっちゃんも鬼籍に移ったが、今は孫の漏れが靖国に参拝するようにしている。
 
69 :ハエ:2006/12/15(金) 17:55:29  
爺ちゃんはソ連にいって家造らされてたらしい
 
70 :非通知さん:2006/12/15(金) 17:56:12  
ウチのじいちゃんは醤油飲んで死なずに済んだ。 おかげで俺がいる。
チキンじいちゃん あ り が と う !
 
72 :ф 九十七式ヘタレリーマン ф :2006/12/15(金) 17:58:25  
>>64-65 いや、このエピソードはラバウル沖の戦いの頃の話だよ\(^o^)/
俺の祖父ちゃん最初は海軍士官で、その後陸軍士官になったんだ/(^o^)\
 
74 :きゅうり神だす:2006/12/15(金) 17:58:31  
>>39 俺もそれ見た 
硫黄島で食料が無くて、周りにころがってる腐乱した死体にわいてる蛆虫を食べるしかなかったって…
それ聞いただけで、精神状態が普通じゃないし惨状が想像出来るよな
 
75 :番組の途中ですがニートです:2006/12/15(金) 17:58:47  
俺のじいちゃん少尉として突撃する三日前に戦争終わったらしい
 
76 :記念真紀子:2006/12/15(金) 18:00:06  
ウチの祖父さんはロスケに捕まって穴掘らされてたが、
札付きの不良だったのでロスケ共とよく揉め事を起こして大変だったらしい
よく生きて帰ってこれたな
 
っていうか帰国して親族一同が思った事は
「足がついたまま帰ってきやがった…」だったとさww
そんな祖父も先年鬼籍に入りました…。  ばあちゃんは元気杉ワロタwww
 
77 :ニート代表:2006/12/15(金) 18:00:14  
母方のじいさんが通信兵だった
自分は百姓で体を鍛えていたから訓練も平気だったと自慢した
しかしヨネナガという人は貧弱で見ていて可哀想だったとか言ってた
割と安全な地域で戦闘はなかったらしく、たまに蛮族を雇って食料を買いに行くと
ヨネナガが途中でへこたれて帰って来られなくなったので見つけに行ったらしい
戦争が悲惨だったという話はまったくなく、むしろ昔のいい思い出を語っているようだった
 
79 :クリントン:2006/12/15(金) 18:01:52  
>>74 蛆食うくらいマシなほうだろ。 死体食ったって話まであるくらいなんだから。
 
81 :肥溜めからこんにちわ:2006/12/15(金) 18:04:02  
>>4 うちのじーちゃんも隙間で助かったって言ってたな。
あと岡本太郎と同じ部隊だったそうな。
 
85 :佐賀県知事:2006/12/15(金) 18:11:08  
じいさんがシベリア抑留
      ↓
じいさんが死んだと思ってたばーさんが再婚
      ↓
じいさん帰国。実家に帰るも妻はすでに再婚。
しかもすでに再婚相手と子供を設けてる(のちの俺の父と叔母)
      ↓
    3つ巴で修羅場
      ↓
再婚相手に愛人がいたことが発覚。4つ巴で修羅場
      ↓
結局愛人−再婚相手、じいさん−ばーさんで落ち着くも、なぜか意気投合し4人で暮らす
 
父方だけで祖父母が4人います・・・
 
86 :おっさん:2006/12/15(金) 18:13:34  
うちのじいちゃんがあと10人いたらアメリカは敗北してたらしい
 
88 :ニート代表:2006/12/15(金) 18:16:44  
俺の爺さん、シベリアに抑留されてた。
ソ連兵から「この中で獣医はいるか?」って言われて、
獣医師だった爺さんが手挙げたら、別室に連れて行かれるみたいでさすがに死を覚悟したらしい。
(一回呼び出されて、二度と還ってこなかったって日本兵が結構いたようだ)
そしたら、極寒で豚が凍死するから面倒を見てくれってことで、
爺さんだけ牢屋を抜けて、養豚場まで自由に移動できる資格が与えられた。
抑留されてる日本兵はもう空腹で疲弊しきって、死ぬ奴も珍しくなかったから、
爺さんが豚のえさを養豚場からパクってきて、分けてあげたらしい。
知識って身を助けるな〜って思った話だった。
 
99 :↓ネット右翼が一言:2006/12/15(金) 18:36:17  
>>88 オレの爺さんの友達は床屋だったので抑留中は厚遇されたって。
散髪のお礼に露助から色々貰ったそうだ。
 
101 :無職は氏ね:2006/12/15(金) 18:43:32  
小2の時に曾じいさんの肩にある弾の傷跡を見せてもらったのをよく覚えてる
3年前に他界したけどな
 
102 :発展の途中ですが先進国です:2006/12/15(金) 18:47:00  
うちのひい婆ちゃん乃木希典の文句言ってたなぁ
じいちゃんは徴収されんかったから食いもんなかったぐらいの話しか聞いた事ない
 
103 :未亡人:2006/12/15(金) 18:49:45  
>>99 それテレビでも見たなー
床屋やっててしかも腕がよかったから米兵に気に入られた人がいた
 
104 :ニートだけど何か?:2006/12/15(金) 18:52:30  
うちのじいさんは満鉄職員でタイプライターのばあちゃんナンパして結婚
その後体調崩して帰国してしばらくで敗戦したらしい。
タイミングずれてたら地獄見たな
 
105 :ノー子孫でフィニッシュです:2006/12/15(金) 18:52:57  
俺のじいちゃんヒトラーと握手したらしい  もちれん信じている
 
106 :天才詐欺師:2006/12/15(金) 18:55:18  
爺様は士官学校か何かの教官をやってたらしい。
卒業生(?)の寄せ書きノートみたいなのが残ってて、
一人一ページ書いてるんだけど、隅の方に赤字で
○月○日 △△△で戦死  とか書き込んであったよ。。。
 
107 :最近風呂入ってないけど、:2006/12/15(金) 18:57:03  
俺の祖父は徴兵検査を落ちた後満州でヒモみたいなことをやっていたらしい
そこで祖母をヤリ逃げして俺の母が生まれたという
祖母は引き上げの時の大変さは語ったが、祖父についてはほとんど語らない
おれも祖父には数回しか会ったことはない  実に不名誉な家系だ……
 
109 :番組の途中ですが名無しです :2006/12/15(金) 18:57:53  
俺の爺ちゃん「靖国神社は想いの外神々しい。死んでいった奴はあんなんじゃなかった」
 
110 :番組の途中ですが名無しです :2006/12/15(金) 18:59:41  
そういやうちのじいさんも太ももに銃で撃たれたあとがあったなぁ
戦争でうたれた〜とか言っていたけどもっと詳しく聞けばよかったな〜もう死んじゃったけど。
 
111 :天才詐欺師:2006/12/15(金) 19:00:26  
満州で富豪だったけど敗戦で無一文で日本帰ってきたらしい
敗戦前に帰ってればいま大富豪だったのに
 
112 :阿弖流爲:2006/12/15(金) 19:00:48  
俺の爺ちゃんは特攻隊だったらしい
末期のまともな機体も無い燃料も無いで助かったらしい
 
114 :番組の途中ですが名無しです :2006/12/15(金) 19:04:38  
うちの爺ちゃんは軍隊は天国だったと言ってた。
 
115 :番組の途中ですが名無しです :2006/12/15(金) 19:05:44  
ウチの爺さんは徴兵されるのが嫌で、検査の前日に左手の親指を故意に切り落としたらしい。
んで、検査終了後に切り落とした親指を三日三晩必死に固定してたら、またくっ付いたって。
さすがに二度と曲げることは出来なかったそうだけど。
 
117 :番組の途中ですが名無しです :2006/12/15(金) 19:07:03  
俺の爺ちゃん
天皇陛下美智子様だって、国民と話す時には近所のおばさんやおじさん。
 俺(ジジイ)がおまえ(俺)に対して話しかけるように近しいだろ?
 俺は靖国みたいに、あんなに遠くの物に祭られるために戦争したわけじゃない。
 姉や親を守りたかったからだ」
 
118 :ф 九十七式ヘタレリーマン ф :2006/12/15(金) 19:09:06  
>>117 三行目は理解できるが、前ふりが意味不明だなw
 
119 :服を買いに行く服がない:2006/12/15(金) 19:10:36  
爺ちゃん終戦時、陸軍准尉。 ノモンハンが初陣で二等兵からスタート。
最後はやっぱ仕官階級乱発だったの?
 
121 :ф 九十七式ヘタレリーマン ф :2006/12/15(金) 19:12:39  
>>119 6年で7階級昇進ワロスw
 
122 :おたく猫でしょ :2006/12/15(金) 19:15:03  
うちの爺さんは鉄くず屋さんだったので兵役の免除されたって言ってた
釘1本から金目のものを拾い集めては全て溶かして産業に貢献したっていってたお
 
123 :裏2ちゃんねるから来ました:2006/12/15(金) 19:15:03  
俺の爺さんはあんま戦争の話しなかったけど、五年前の正月に
なんぼ撃たれても、当たらなきゃなんてことないって言ってた
あと若いうちは色々間違ったことするけど、立派な爺になれってさ
 
124 :五十嵐:2006/12/15(金) 19:15:58  
デーモン小暮はどこにいたんだろ
 
125 :番組の途中ですが名無しです :2006/12/15(金) 19:16:19  
>118 あまりにも神々しい祭られ方が気に入らないらしい。
仲間を思い返しても、そういう感じなのは望んでいないと思うってこと。
 
126 :番組の途中ですが名無しです :2006/12/15(金) 19:16:53  
まあ間違いなく日本史上もっとも激しい戦争の最中を生き延びた人らだからな
結果としては日本史上最強の日本人と言っても過言でないんじゃないか。
 
130 :優しい人が好きです:2006/12/15(金) 19:25:25  
うちの爺様は乗ってた艦が3度とも沈められたって。
駆逐艦重巡、戦艦の順だったらしいんだけどよく生きてたもんだ。
最後は乗る船がなくなってブーゲンビルで陸戦隊配属になって
撃墜された山本五十六の捜索にもあたったとか。
今でも家の倉庫にそのときの一式陸攻の鉄パイプみたいな部品があるよ。
  
131 :股関節学会:2006/12/15(金) 19:25:51  
お祖母ちゃんの知っている人で、戦争体験を一切喋らず死んでいったのが一人いるらしい。
激戦地で密林をさまよい、何を食べたかもわからないそうだ。
昭和五十年代に死んだそうだが、死に際に戦友が呼んでいると言ったそうだ。
祖母ちゃんが言うには、本当に辛い体験をすると喋れないものらしい。

祖母ちゃんの兄さんは激戦で敵味方一人だけ生き残ったらしい。
祖父ちゃんは戦後捕虜になったが、幸運にも激戦があった後にその地に赴いて、
まったくの無傷だったらしい。
 
戦争体験を喋る割合は祖父>祖母の兄>祖母の義弟の順番。w
 
132 :ここ壊れてます:2006/12/15(金) 19:25:58  
うちのじいちゃん、犬食ったんだよなぁ・・・
 
大戦末期、戦場に派遣される予定の若い兵士達が
「死ぬ前に一度でいいから肉を腹一杯食いたい」と
みんなで民家を廻って食料を求めてたらしい
 
その中のとある一軒で、50ぎた孤独な一人暮らしの男が
「お国の為じゃ、仕方あるまい」と自らの飼い犬を差し出すと言い出した
その犬は見知らぬ兵隊達を見て怯え、物陰に隠れ近寄ってこようとしない
だが、飼い主が犬の名を呼ぶと、犬は尻尾を振って出てきたではないか
男は兵士に鎖を預け「どうか、どうか悲鳴の届かぬ所で捌いてくれ」と言った
わけの分からぬまま飼い主と引き離され兵士達に引き摺られ連れ去られて行く犬・・・
祖父は、「すまない、すまない、俺も必ずや国のため散るからな」と
何度も心の中で思い、その犬を喰ったらしい
 
だが、その直後に広島・長崎に原爆が落とされ敗戦したため
祖父が戦場に行く事は無かった
 
133 :天才詐欺師:2006/12/15(金) 19:26:09  
ウチの爺ちゃん、泥鰌すくいの芸が上官に気に入られて他の部隊に移ったんだって。
で、爺ちゃんが前に所属していた部隊はカミカゼの命令が出て死んじゃったそう。
 
134 :愛知の星:2006/12/15(金) 19:28:34  
うちの母方の爺ちゃんはシベリア?へ行って道を作ったらしい。
で、帰ってくる時に船が沈没して漂流して奇跡的に助かったんだって。
父方の爺ちゃんは・・・背が低く過ぎて徴兵されなかったらしい。
 
135 :ここ壊れてます:2006/12/15(金) 19:28:45  
>>131 うちのじいちゃんもインドネシアあたりで赤痢をもらって帰ってきたが
一切戦争については語ってくれなかった
もう一人のじいちゃんはシンガポールでウマーな生活してたらしいが
 
140 :番組の途中ですが名無しです:2006/12/15(金) 19:31:01  
祖父ちゃんは台湾に行く途中、三隻の船で行ったが、前後の船が沈められたそうだ。
船員は、俺たちでもこの波だったらもって数時間だなと言ってらたしく、
祖父ちゃんは覚悟を決めたそうだ。
 
・・・そう言えば色んな話してくれたな。
捕虜収容所で苛められた上司を高校野強豪チームの主将だった祖父が
野球のときに脅かした話とか。w
ちなみに巨人軍監督の水原からもヒットを打ったことがあるというのが祖父の自慢話の一つ。
・・・けっきょく負けたけどね。
 
142 :番組の途中ですが名無しです :2006/12/15(金) 19:32:12  
>>126 とはいえない。何故なら勇敢な人間は先に死んでいったからだ。
口ばかりの東京や大阪の師団は弱く、すぐに逃げた。 東北や九州の師団はどんどん死んだ。
 
143 :世界史未履修:2006/12/15(金) 19:32:23  
うちの爺は、上官に媚売って、同僚のいろいろ密告して、自分は危険なところに行かないですんだ。
不器用な奴らが死んでったと嬉しそうに語ってたよ。
もう15年くらい会ってないがまだ生きてるのかな。
 
145 :服を買いに行く服がない:2006/12/15(金) 19:35:00 
>>142 都会の部隊でも名古屋の連隊は強かったみたいだけどな。
 
148 :股関節学会:2006/12/15(金) 19:40:20  
>>142 大阪の八連隊?か何かが有名だよな。 またも負けたか、八連隊とか言って。
 
東京大空襲のときは祖母は両手に叔父さん叔母さんを連れて、
数メートル横を焼夷弾が落ちたりしたところを逃げたと言っていたな。
ちなみに祖母ちゃんは大震災の体験者。
空襲で目の前の家の中で、自分の好きな着物が燃えていくのをみていたそうだ。
子供を可愛がってくれた近所のお姉さんが焼夷弾を直接くらって死んだそうだ。
 
149 :人生右肩下がり:2006/12/15(金) 19:43:29  
最近叔母さんとオカンが異父姉妹ということを知った。
やっぱり戦争で死んだりで色々あったらしい。
戦時中の話を聞きたいけどじいちゃんはどっちも死んだし、ばあちゃんはボケたし聞けない。。
 
150 :服を買いに行く服がない:2006/12/15(金) 19:44:33  
>>148 空襲の話って怖いよな。 空から爆弾降ってくるんだぜ? イカれてるよ。
しかも鬼畜米英はまず都市の辺縁部から爆撃して、火の壁作って市民の退路を断つんだよ。
んで、真ん中でどこにも逃げようのなくなった市民を嬲り殺した。
 
151 :股関節学会:2006/12/15(金) 19:45:06 id:uXhGWmvb0
いずれにしても、国を守ろうとした人たちは尊ばれるべきだ
という歴史家林東大元総長のいうことは真だろう。
 
152 :番組の途中ですが名無しです :2006/12/15(金) 19:45:19  
ノモンハンで戦死したらしい
 
153 :↑まーた始まった:2006/12/15(金) 19:50:20  
爺さんは朝鮮に出稼ぎいってる時に現地で3回召集されたらしい。
満州事変の従軍記章がのこってる。
 
154 :職業訓練中:2006/12/15(金) 19:50:25  
うちのじいちゃんは軍需工場を経営していたから、当事はえらい景気がよかったらしい。
宝塚歌劇の姉ちゃん達ととミナミのお茶屋なんかでどんちゃん騒ぎしてたそうだ。
家にもねーやさんが二人いたらしい。
そんなじいちゃんの遺品は直径6cm以上あるロンジンの懐中時計。
 
156 :着替え中。。。@美人:2006/12/15(金) 19:52:59  
俺の爺さんは兵員輸送車とかの輸送関係やってたから普通に生きてる
中国からの引き上げが地獄だったらしい
 
157 :番組の途中ですが名無しです :2006/12/15(金) 19:54:30  
うちのじいちゃんが上の命令で動いた作戦が226だった  しかも反乱側として
そのあとは中国の最前線にとばされまくりだったらしい
 
158 :ф 九十七式ヘタレリーマン ф :2006/12/15(金) 19:54:35  
>>142 ”またも負けたか8連隊”を真に受けない方がいい
 
160 :議長@北朝鮮:2006/12/15(金) 19:56:49  
捕虜の通訳とか輸送してたらしい。 ゴボウとか鰹節はあげなかったらしい。
 
164 :ф 九十七式ヘタレリーマン ф :2006/12/15(金) 20:06:17  
>>150 日本人はアメリカから何をされたのか全然教えられないからな。
俺はその空襲もそうだけど、1942年4月の、日本が連戦連勝してる時に、
アメリカが日本に一矢を報いようとして行った
ドゥーリットル空襲の方が、アメリカ人らしくて頭にくるけどな。
 
ホーネットを発艦したB-25が帝都を空爆するんだけど(これが日本が初めて受けた空爆)、
日本軍の航空機と思って手を振った小学生たちに機銃掃射を浴びせて、子供が一人死んでる。
 
165 :世界史未履修ですが名無しです:2006/12/15(金) 20:06:20  
家の爺ちゃん戦時中に潜水艦でドイツ領のフランスにいってフランス人形とか土産を買った。
金塊をたくさん積んで、帰りはペニシリンをドイツから持ち帰ったらしい。
他の潜水艦は途中でやられたけど、フィリピン沖を遠回りしたから助かったらしい
 
166 :番組の途中ですが名無しです :2006/12/15(金) 20:09:15  
>>150 ○→× を描くように爆撃すると聞いた
 
167 :現地在住者:2006/12/15(金) 20:10:05  
7年前に亡くなった爺ちゃんは2度目の召集だったインパールから奇跡的に生還
漏れ資格ニート
どこまでつづくぬかるみぞ 資格白骨街道で脱落しそう  爺ちゃんスマン
 
168 :番組の途中ですが名無しです :2006/12/15(金) 20:11:10  
東南アジアに向かう船に俺のじいちゃんは乗ってたんだけど
爆撃されて船沈没、日本まで泳いで帰ったらしい
 
169 :ф 九十七式ヘタレリーマン ф :2006/12/15(金) 20:13:08  
>>167 インパールの生き残りかよΣ(・∀・*;)  すげーな・・・
 
170 :予選敗退:2006/12/15(金) 20:13:30  
うちの爺ちゃん末期に士官学校卒業して新米少尉でフィリピン行ったけど
部下が勝手に現地民と塩とと砂糖を交換して、塩無くなって降伏したってさ
 
171 :番組の途中ですが名無しです :2006/12/15(金) 20:14:12  
次は勝とうな
 
172 :お腹に虫が湧いてます:2006/12/15(金) 20:19:04  
>>167 漏れの叔父さんはインパで死んだと聞いてる。 中尉さんだったらしいんだが。
 
173 :ф 九十七式ヘタレリーマン ф :2006/12/15(金) 20:20:10  
>>172 牟田口のキチガイの指揮で死ぬとは。。。 浮かばれないよなブボボ(`;ω;´)モワッ
 
176 :キャリアニート:2006/12/15(金) 20:25:42  
うちのじいちゃんは機関銃で左腕飛ばされて帰ってきたよ\(^o^)
 
177 :三重人権センターですが節穴に入りました:2006/12/15(金) 20:26:35 
オレの爺さんも一度目は北支(ノモンハン?)から南方の前線へ飛ばされ、
二度目はビルマからインパール、引き上げは残った空母だったとか。
 
178 :どぶ:2006/12/15(金) 20:27:18  
うちのおばあちゃんの方は軍医と少将
満州で家政婦何人も雇って生活してたらしい
BCGも普通の人は腕だけど何故か足にやったと言ってた
 
179 :外出できない名無しです:2006/12/15(金) 20:28:03  
俺の爺さんは酒飲みで女好きだったらしい、しかし何時まで経っても召集されない
ついに婆ちゃんが切れて「この人連れてってください!」と言ったらしい
 
でもねこういうすっとこどっこいに限って帰って来ちゃうんだなぁ、
しかし片足を失い痩せ細った爺ちゃん、それを見て婆ちゃんは真昼間
恥じらいもせず抱きつき大声で泣いたらしい
 
182 :ちょっと樹海行ってくるわ:2006/12/15(金) 20:36:04  
兵隊のエリートの人って日本から出てないんじゃないか?
うちのじいさん、なんて地位かはわからんがそれだったぞ。
のくせに軍刀やら、千人針、幹部しかもたない手帳みたなの持ってる
 
183 :ф 九十七式ヘタレリーマン ф :2006/12/15(金) 20:37:18  
>>182 陸大を首席に近い成績で卒業して参謀本部に出仕してたんならそうだろう。
 
185 :ちょっと樹海行ってくるわ:2006/12/15(金) 20:43:48  
>>183 そうなのか!? 一応戦争終わって教師になったから、頭はよかったんだろう
うちのじっちゃんは考えが右翼的だけど礼儀に厳しいし 尊敬してる
 
186 :ゴキブリ大発生:2006/12/15(金) 20:44:59  
死んだ俺のじいちゃん、事ある毎にチャンコロは信用できないって言ってるた
 
187 :お腹に虫が湧いてます:2006/12/15(金) 20:46:04  
>>182 山下中将とかは結構最前線で戦ったんじゃあるまいか
 
188 :ダメ男が暴発:2006/12/15(金) 20:48:20  
祖母ちゃんは震災にあったときに半年居候だった学生さんが助けに来てくれたと話していたな。
戦後田舎に行くときに駅で当時珍しい白米のおにぎりを振舞ってくれたと言っていた。
田舎で仲が良かった近所の若いお百姓さんが電車でお米を持ってきてくれたそうだ。
あと部屋を貸してくれと言われたので、貸してやった人が大工さんで、
その人が焼け野原にやってきて、そこらの材木で一軒家を建ててくれて、
建てたその日のうちに何も言わずに帰って行って、以来連絡も全くなかったそうだ。
恩義に厚い人が居たんだよな、そのころは。
 
190 :ニート代表:2006/12/15(金) 20:50:00  
お前らのじじいは凄いけど、お前らには遺伝してないみたいだな
 
191 :ダメ男が暴発:2006/12/15(金) 20:50:55  
>>186 華僑は違うみたいだ。
会社の上司と祖父ちゃんが捕虜収容所にいたときに
数時間の行程をかけて何人かで来てくれたそうだ。
そのときに彼らは日本はまた必ず甦るだろうが、
次に来るときにはこんな形で来てくれるなと言ったそうだ。
 
192 :仕事の途中ですがニュー速です:2006/12/15(金) 20:51:54  
>>190 体の奥深くで眠ってるだけだ
 
193 :番組の途中ですが名無しです :2006/12/15(金) 20:52:23  
家のバーちゃんはすげぇ
滅茶苦茶お嬢様で穏やかと言う言葉が服を着て歩いてるような人なのに
空爆があった時に親父、おじさん2人、隣の餓鬼2人、食料(梅干とか米とか)、
爺が大事にしてた壷、反物等を防空壕と家を3回往復して確保したらしい
結局家は燃えなくて全然大丈夫だったらしいんだが、
親父曰く「あれからお袋には頭が上がらん」だって
 
余談だけどその時ジジイは隣町(職場があった)の防空壕でガクガクブルブルしてただけだってさw
 
194 :外出できない名無しです:2006/12/15(金) 20:53:42  
友達のじいさんが軍医兼通訳で、蒋介石と会食中に
「箸の持ち方が悪い!」と言って蒋介石を殴ったらしい…
 
197 :ちょっと樹海行ってくるわ:2006/12/15(金) 20:57:50  
天皇の近衛兵って当時すごいのか?
 
198 :↑まーた始まった:2006/12/15(金) 20:57:58  
うちのばあちゃんは重巡洋艦の利根が米軍機に撃沈されるのを間近で見てる
家ん中で出るに出られず、乳飲み子を抱えてうずくまってたら
機関砲か機関銃の弾が頭の上の壁を突き破ったらしい
「大勢の兵隊さんが血だらけで運ばれてきて可哀想じゃった」って悲しそうに言ってたわ
 
200 :お腹に虫が湧いてます:2006/12/15(金) 20:59:54  
うちの叔母さんの嫁ぎ先が右翼(つうか総会屋)だったらしいんだが、
敗戦した時に屋敷を接収されちゃった。
叔母さんはミッション系の女学校卒で英語が得意だったので、
一人で進駐軍の司令部に乗り込んでって、屋敷を取り返してきたらしい。
今でも一族の語り草。
 
201 :ここまで集計:2006/12/15(金) 21:00:38  
>>197 どうなのかなあ。
祖母ちゃんの義弟が皇宮警察とかいうのかな、そこに勤務していたけど。
話半分かどうか知らんが、日に一人くらい、
俺は天皇だから中に入れろとかいうのがくるとか言っていたな。
 
>>193 曾祖母は大震災のときに、橋が落ちるまで自分の家の蓄えの米などを往復して
避難している公園みたいな所で炊き出しをして感謝されたそうだ。
 
>>192が言うように、そんな力が俺たちの体の奥深く眠っていると信じたい。
 
204 :ここまで集計:2006/12/15(金) 21:03:19  
そういえば祖父の同級生が2.26事件の参加者で、後年本を出版したのが祖父に送られた。
今でもあるのかな。
 
206 :三重県人権センター:2006/12/15(金) 21:05:22  
>>197 将校はスーパーエリート 近衛抜刀隊は剣術も達人級
 
207 :友達になってくれませんか?:2006/12/15(金) 21:06:18  
>>173 ttp://shippai.jst.go.jp/fkd/Search
なんか、今失敗学をDB化したこんなのあるじゃん。
これにインパみたいな軍事的失敗も載せて欲しいよね。
先人の非業な死を無駄にしたくないよ。
  
212 :ф 九十七式ヘタレリーマン ф :2006/12/15(金) 21:10:16  
>>207 俺の愛読書のひとつである、「失敗の本質」って本
防衛大学の教授が書いた、組織論・社会学的な観点から日本の敗戦の理由を研究した本)
には、インパールが載ってるよ。
ちなみに、ノモンハン、ミッドウェー、ガダルカナルインパール、沖縄玉砕の5つを
特にその研究対象としてる。
 
213 :番組の途中ですが名無しです :2006/12/15(金) 21:11:48  
うちのじーちゃんは、零戦パイロットでラバウルに配属されてた
撃墜スコアは32機だった P-38とかF2AやF4Fを撃墜したらしい
でF6Fと戦って撃墜されたけどなんとか脱出できて味方の駆逐艦に助けられた時は本当に命拾いしたって言ってた
 
215 :世界史未履修:2006/12/15(金) 21:12:43  
>>206 母方だけど、家系図が江戸から俺まで描かれて、
その中に天皇の近衛兵の人や警視庁の人がいる、じっちゃんも確かにエリートだ。
 
217 :さわやか3組:2006/12/15(金) 21:15:13  
>>213 マジかよ? あの伝説のパイロットの坂井三郎で、諸説はあるけど64機で
伝説の戦闘機乗りだから、32機って言うのは相当すごい数字なんじゃないだろうか?
 
かっこいいな。 まぁ、ラバウル航空隊は本当に練度高かったし、
開戦当初は世界でも屈指の戦闘機隊だったから、さもありなん、ってところか。
 
218 :イケメン:2006/12/15(金) 21:17:50  
民国軍相手に戦ってたら手榴弾投げられて死を覚悟したけど不発で助かったと
中国が投げる手榴弾は2発に1発は不発だったらしい
花火してて中国製の安物の線香花火が全然火がつかなかったときに笑い話として教えてくれた
 
219 :昼寝ている占い師:2006/12/15(金) 21:18:48  
俺ン家
父方 三兄弟内二人戦死(一人は学生で招集されなかった)
母方 二人兄弟二人戦死
で、戦争行った人はみんな死んでんだけど・・・
 
220 :三重県人権センター:2006/12/15(金) 21:20:22  
>>215 近衛兵と言っても二種類あって
職業軍人から徹底選抜された本来の近衛兵と、近衛師団に属している一般レベルの兵卒
兵卒は思想チェックをされるだけで、基本的には他の兵卒と変わらない(軍装はちと違う)
 
お前さまの爺さまが宮城でお歴々の直属警護をされていたとしたら、ホンモノのエリートだわ
そうでないならワカンネ
 
223 :番組の途中ですが名無しです :2006/12/15(金) 21:22:14  
米軍パイロットが恐れていた日本の撃墜王は結構いたらしい。
戦時中爆撃をうけた企業を訪問したとき、そんな話していたな。
米軍パイロットは、零戦の機体番号かなんかで判断しているのかな。
 
225 :同定不能さん:2006/12/15(金) 21:24:04  
>>217 柄が血で黒ずんだ軍刀とか飛行服や隊の写真とかも見せてくれたし本当だと思う
 
226 :ここまで集計:2006/12/15(金) 21:25:16  
祖母ちゃんは震災と大空襲と戦後を生き抜いてきた。
祖母ちゃんは恥ずかしいことしてなきゃ人間は強いよと言ってる。
財産を狙っていた嫁と長男を叱り飛ばして次男のオヤジのところに来ているけど、
話し合いのときにじつに堂々としていたと叔父が感心していた。
 
病院は孫の俺が一緒に行くけど九十過ぎてまだ料理をしているし、散歩も行く。
近くに保育園があって、祖母ちゃんに園児たちが手を振ったりしている。
この間小学生の高学年の少女たちが、こんにちは、と挨拶していた。
 
凛として、子供好きで祖母ちゃんは懸命に生きてきた。
あと一年か、二年くらいだろうね、といっていた。
病気の独身の叔母さんが気がかりだそうだが、どうか寿命を全うしてくれることを。
祖母ちゃんにはその価値があると孫の俺は信じている。
 
さて、孫の俺はどうなるかな。w
祖父ちゃん祖母ちゃんの名に恥じない生き方ができるように努力するよ。
 
227 :ф 九十七式ヘタレリーマン ф :2006/12/15(金) 21:25:56  
>>225 別に物的証拠は要らないよw
あの頃ラバウルに居たのなら、開戦初期の零戦最強伝説の頃だ。 多分本当だろう。
まだ生きてるのか? ラバウル撤退後はどこの戦線に放り込まれたんだ?
 
229 :同定不能さん:2006/12/15(金) 21:28:03  
>>227 じーちゃんもう亡くなったんだよ 撤退後は台湾に配属されたって言ってた
ニートの俺をよく説教してくれたとてもいいじいちゃんだった
 
231 :勅使河原:2006/12/15(金) 21:28:34  
爺ちゃんは薬指が無かったんだが「名誉の負傷じゃ」と言って多くを語らなかった。
葬式でばーちゃんが「工場の扉で指を挟んで無くすようなおっちょこちょいで・・・」
とネタバレしてたのが、孫連中にはうけてたw
 
232 :番組の途中ですが名無しです:2006/12/15(金) 21:29:09  
>>220 わかんねけど、たぶん職業軍人
未だに、天皇の写真と日本国旗がでかでかと座敷に飾ってあるような家系です。
しかし最近は落ちぶれてきたので俺の代で再興してあげたい。
 
234 :俺の力そっと教えます:2006/12/15(金) 21:29:41  
ど田舎暮らしの母方の婆ちゃんは山に登って燃え盛る町を見た
都会暮らしの父方の祖父は兵隊になるのが嫌で勉強して
建設的な事やったおかげで金持ちになった
 
235 :ф 九十七式ヘタレリーマン ф :2006/12/15(金) 21:30:39  
>>229 そしたら、終戦間際の台湾沖航空戦にも参加したんかね?
あの頃には、もう往時の勢いは無かったから悲しかっただろうな・・・・
つーかお前ニートかよコラ
 
236 :おちゃわん:2006/12/15(金) 21:31:21  
お婆ちゃん家にあるじいちゃんの遺影が軍服でめちゃくちゃカッコ良かったんだよね
それで戦闘機で死んだの? 陸軍だったの? って聞いたら
戦争から帰ってきてトラクターに轢かれて死んだらしい
 
237 :番組の途中ですが無職です:2006/12/15(金) 21:33:38  
うちの爺さんは特攻隊だったけど特攻する前に海に墜落して泳いで帰ってきたらしい
 
238 :アニ‐:2006/12/15(金) 21:35:21  
今日聞いた話だが、近所に硫黄島帰りの方がいるらしい
 
239 :番組の途中ですが名無しです :2006/12/15(金) 21:36:05  
うちのじいちゃんスレになってたのか
 
うちのじいちゃん 朝鮮→台湾→終戦
婆ちゃんのお兄さん達 ニューギニア戦線で戦死 中支軍→ビルマ戦線→終戦
曹長か軍曹になってたらしい
おばさんの舅さんは一時長門に乗ってたらしい。
 
240 :滝川クリステル:2006/12/15(金) 21:36:51  
硫黄島帰りって数百人しか居なかったよう気がする
 
242 :ф 九十七式ヘタレリーマン ф :2006/12/15(金) 21:38:35  
でも、確か1948年の年末まで、確か硫黄島にこもって米国と”戦争”してた日本兵が2人いたよなw
最後まで、日本の降伏は連合国のプロパガンダだと信じてたらしいけど、
あの島でどうやって4年間も飲み水と食料を確保してたんだろうか・・・・
 
243 :この書き込み終わったらハロワ行きますんで:2006/12/15(金) 21:39:08 
じいさんの兄は海上特攻してた
 
248 :天才詐欺師:2006/12/15(金) 21:45:53  
爺さんの遺品の軍人手帳?を見ていたら、
「シナ事変の功により○○褒章を賜る」というような事が書いてあった。 爺さんGJ!だったんだなぁ
 
249 :番組の途中ですが名無しです:2006/12/15(金) 21:46:03  
うちのじいちゃんはシベリアに捕虜にされたにも関わらず、露助に将棋教えて指してたほど平和だ
 
ただし大晦日あたりに雪の中で解放というか、ほっぽりだされたのは困ったらしい。
帰りの船で食事出されたけどみんな酔ってて、じいちゃんはかなり食べれたんだが
食べても食べても腹が減った感じがしたとか。 食料難は何気に精神にかなり来るんだな。
 
 
 
*関連過去スレ
 http://d.hatena.ne.jp/agemaki/20050808/1123460730
 http://d.hatena.ne.jp/agemaki/20050809/1123540934
 http://d.hatena.ne.jp/agemaki/20050810/1123628387
 http://d.hatena.ne.jp/agemaki/20050815/1124064965
 
 
 
 

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