功罪様々

12/12

【チリ】ピノチェト元大統領が死去 73〜90年軍事独裁

 
  
1 :窓際店長見習φ ★ :2006/12/11(月) 04:55:04  

73〜90年にかけてチリで軍事独裁を敷いたピノチェト元大統領(91)が10日、
急性心不全のためサンティアゴ市内の病院で死去した。
同氏の軍事独裁下、約3000人が殺害・行方不明になったとされる。
一方で社会主義政権を倒して経済を再建した救国の英雄と崇拝されており、
国論は長く二分されてきた。
だがここ数年は、軍事政権下の人権侵害などについて訴追が進んでいた。
 
地元テレビによると、病院前では支持者が集まり、国歌を歌って死を悼んでいる。
一方で、「独裁者」の死を喜ぶ人々もサンティアゴ市内の路上に集っている。
地元紙のアンケートでは、55が国葬に反対している。
 
同氏は心筋梗塞と肺水腫のため、3日からで入院していた。
 
ピノチェト氏は18歳で陸軍に入隊して以降、一貫して軍人としての道を歩んできた。
73年9月、アジェンデ社会主義政権をクーデターで打倒した。
その直後、軍事評議会議長に選ばれ、翌年には大統領となった。
その後、戒厳令をしいて国会を閉鎖。 政治活動を制限し、徹底的に左派勢力を弾圧した。
 
90年の民主化後、政府は軍政時代の虐殺・人権侵害などを調査し、
約3000人が死亡・行方不明となり、約3万人が拷問などの被害を受けたとする結果を公表した。
 
90年の民主化後も終身上院議員として免責特権が与えられたが、
98年10月、療養先のロンドンで英司法当局に逮捕された。
「虐殺の被害者にスペイン人もいる」として、
スペイン司法当局から出された逮捕命令と国際手配を受けてのことだった。
 
00年3月、健康上の理由から英国で釈放され、チリに帰国した。
約300の事件に絡み起訴などの司法手続きがとられた。
いったんは02年7月、高齢による健康上の理由で裁判の中止が決定されたものの、
05年から再開の動きが進み、現在は左派活動家の殺害や拷問、横領などで起訴されていた。
ttp://www.asahi.com/international/update/1211/002.html

5 :名無しさん@七周年:2006/12/11(月) 05:00:43  
スティングの歌あったよね、タイトルなんだっけ?
 
6 :名無しさん@七周年:2006/12/11(月) 05:01:18  
虐殺者は天寿を全うする  殺された連中と遺族だけが馬鹿を見る
毛沢東しかり、スターリンしかり、多分ブッシュも金正日
 
8 :名無しさん@七周年:2006/12/11(月) 05:10:29  
70年代の指導者は長命だな。
  アメリカのフォード大統領(93)
  西ドイツのシュミット首相(88)
  フランスのジスカールデスタン大統領(80)
  中国の華国鋒主席(85)
みんな存命。
  
9 :名無しさん@七周年:2006/12/11(月) 05:14:13  
一つの時代が終わったな
 
14 :今はもう祈るばかりー人ー:2006/12/11(月) 05:27:37  
アウグスト・ホセ・ラモン・ピノチェト・ウガルテ
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%94%E3%83%8E%E3%83%81%E3%82%A7%E3%83%88
 
サルバドール・アジェンデ(南米での9.11)
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%83%AB%E3%83%90%E3%83%89%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%83%BB%E3%82%A2%E3%82%B8%E3%82%A7%E3%83%B3%E3%83%87
 
19 :名無しさん@七周年:2006/12/11(月) 05:38:32  
チリの政治犯の拷問と言えば… 女の陰部に電極を差して焼き潰したヤツだろ。
昔、映画で見たことあるよ。
 
21 :名無しさん@七周年:2006/12/11(月) 05:56:31  
>>5 They dance alone
 
22 :名無しさん@七周年:2006/12/11(月) 05:58:59  
アウグスト・ホセ・ラモン・ピノチェト・ウガルテ!。
死んで逃げようたって、そうはさせんぞ!
 
24 : :2006/12/11(月) 06:19:15  
>>19 そういうことをした首謀者が安楽に死ねるとは、、、  なんかこの世は間違っている、、
 
26 :名無しさん@七周年:2006/12/11(月) 06:27:33  
>>24 この世は間違っていない。 チリ版毛沢東金正日を殺したのだから天国行きだよ。
 
30 :名無しさん@七周年:2006/12/11(月) 07:07:02  
>>26 アジェンデのことを言っているのか?
毛や金豚とは違って、普通に民主選挙で選ばれた大統領だぞ。
それをアメリカのバックアップの元、クーデターを起こして殺した(自殺に追い込んだとの説も)。
まあ地獄があるなら地獄行きだな。
 
31 :名無しさん@七周年:2006/12/11(月) 07:11:47  

チリ・クーデター  
   
1973年9月11日、ピノチェト将軍がクーデターを起こしホーカー・ハンター戦闘機と機甲部隊の
激しい砲爆撃のなかで大統領官邸(通称モネダ宮殿)は炎上した。
アジェンデ大統領は降伏を拒否し、
炎上するモネダ宮殿内で自ら自動小銃を握って反乱軍と交戦中に命を落とした。
アジェンデ大統領に死因については自動小銃による自殺説が有力だが、
反乱軍によって殺害されたという者もいる。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%AA%E3%83%BB%E3%82%AF%E3%83%BC%E3%83%87%E3%82%BF%E3%83%BC

32 :名無しさん@七周年:2006/12/11(月) 07:23:39  
>>31 アジェンデカッコヨス
今の日本で、国民の信任を最後まで守るために一人で軍隊相手に戦える政治家が何人いるかね
 
34 :中川泰秀 :2006/12/11(月) 08:50:38  
>>1 これはCIAとの協力(実質的には陰謀)によって政権を取れた好例だろ?
 
35 :名無しさん@七周年:2006/12/11(月) 08:55:22  
>>32 でも王将が歩兵みたいなことしてるのは負けが決まってる時だよね・・・
 
37 :名無しさん@七周年:2006/12/11(月) 09:13:54  
アルゼンチンのとか南米の軍事独裁は中々に壮絶なのが多いな
 
38 :名無しさん@七周年:2006/12/11(月) 09:42:03  
閣下は常にチリ軍の名誉を重んじられておられた。
フランコ将軍に連なる優れた軍政家である。
 
42 :名無しさん@七周年:2006/12/11(月) 09:48:18  

来歴
1915年にチリ第二の都市・バルパライソに生まれ、
1937年に軍に入隊して以降チリ陸軍内で着実に出世し、
1971年1月に陸軍大将となる。 
その後1973年8月23日に、自由選挙によって選ばれた史上初めての社会主義政権である
アジェンデ政権を、アメリカの支援によるクーデターによって倒した後、
1974年6月27日に大統領に就任。
その後16年間にわたって軍事政権を率いて強権政治を行い「独裁者」と呼ばれた。
彼の政権下では多くの左派系の人々が誘拐され「行方不明」となった。
日本では民社党などが反共を大義名分にクーデターを支持した。
 
ピノチェトによる軍事独裁政治が敷かれている間、
後見人のアメリカは、冷戦が終結する直前まで見て見ぬ振りを続けた。
だが、1980年代後半の東西冷戦の終結により、
中南米における社会主義の防波堤」としての利用価値が無くなったとされ
そのアメリカに見放される形で、ピノチェトは1990年に大統領を辞任。
辞任後も終身の上院議員・陸軍総司令官として力を保持していた。

45 :名無しさん@七周年:2006/12/11(月) 10:01:56  

しかし、1998年に病気療養のために渡ったイギリスで、スペインの司法当局の要請
(チリ在住のスペイン人に対する弾圧の罪で)によって拘束されたが、
病気で裁判に出るのは無理だと診断されたため帰国した。
このときイギリス・スペイン・チリの間に、
「イギリスの警察がチリ人をスペインの要請で拘束したのは適法なのか」と論争になり、
スペイン・イギリスとチリの間の関係悪化にまでつながった。
 
2001年にはチリの市民団体がピノチェトを告発するが、チリの最高裁
ピノチェトは痴呆で裁判を受けられない」と、これを却下した。
しかし、アメリカのテレビ局のインタビューなどに答えていたことなどから
痴呆というのは嘘ではないかという声が挙がり、2004年8月には最高裁に免責特権を剥奪された。

48 :名無しさん@七周年:2006/12/11(月) 10:07:37  
ピノチェト亡き後の南米諸国は、左翼勢力の巣窟になるのだろうか、、
それとも第三の道を見つけるのか、、
 
49 :名無しさん@七周年:2006/12/11(月) 10:09:00  
実は保守の連中が一番よろこんでるんじゃないの?wwwwwwww
ピノチェトのせいで保守のイメージが最悪で、選挙では中道左派に負けっぱなしだったしwwwww
これでチャラになって万々歳とwwww
 
50 :名無しさん@七周年:2006/12/11(月) 10:12:20  

2004年12月、チリ・サンティアゴ控訴裁は左派の活動家に対する誘拐・殺人の罪で
ピノチェトを告発したが、2005年9月、チリ最高裁は、最終的にピノチェトの健康状態から
裁判に耐えられないとして罪状を棄却した。
しかし、ピノチェトには在任中の2700万ドルと言われる不正蓄財の容疑でも捜査が進められており、
妻と息子が逮捕され(妻は高齢のためその後保釈)、
2005年10月にはピノチェトと家族のすべての資産が差し押さえられた。
また、2006年10月25日には香港の銀行に9トンもの金塊を所有していることが明らかになった。
2006年12月10日午前2時死去。91歳であった。
 
現在、ピノチェトに対しては、
軍事独裁政権を敷いた冷酷非情な独裁者」と言う見方が大勢を占める。 だが、一方では
「アジェンデと並ぶアメリカの犠牲者」と言う同情的な見方もある。
ピノチェト失脚後、アメリカとチリとの関係は悪化しており、チリ国内外には、
アメリカがチリをダメにした」「ピノチェトアメリカの捨て駒であり、被害者だった」
と、かつてピノチェト政権を影ながら支持したアメリカの責任を問う声も多く出ている。
以上 出典 wiki

53 :名無しさん@七周年:2006/12/11(月) 10:32:30  
>>49 それはありそう 回顧以外にとってあんなのお荷物だろ?
 
54 :名無しさん@七周年:2006/12/11(月) 10:36:17  
>>5 邦題は『孤独なダンス』じゃなかったっけ?
独裁者に夫や恋人を連れ去られた女たちが、相手がいると見立てて1人で踊る孤独なダンス……。
 
スティングはこの曲をピノチェトに(嫌がらせで)贈った。
 
56 :名無しさん@七周年:2006/12/11(月) 10:42:05  
反共でCIAの傀儡という判りやすい独裁者だった。 南米ではこの位の虐殺はよくある事
 
58 :名無しさん@七周年:2006/12/11(月) 10:55:20  
ピノチェトといえば旧民社の塚本の「これぞ天の声」発言
 
59 :名無しさん@七周年:2006/12/11(月) 10:55:43  
帝国っぽいファッションはやっぱりカクイイな。(‐∧‐)ナムナム
 
60 :名無しさん@七周年:2006/12/11(月) 11:48:54  
>>59 チリやアルゼンチンなどは戦前ドイツから軍事顧問団を受け入れていた関係で、
行進や制服はドイツっぽい。
 
62 :名無しさん@七周年:2006/12/11(月) 12:15:17  
イラクの惨状とか見てると、国民によっては軍事独裁もアリだと思う
 
63 :名無しさん@七周年:2006/12/11(月) 12:47:31  
ピノチェトの虐殺といえばヴィクトル・ハラだな
 
65 :名無しさん@七周年:2006/12/11(月) 13:01:39  
>>63 二度とギター弾けないように散弾銃で手ふっとばされたんだよね
 
68 :名無しさん@七周年:2006/12/11(月) 14:19:12  
経済面の功績は認めてやれよ。
ちゃっかり豊かさを享受しながら先人を糾弾するどっかの国みたいになるな。
 
69 :名無しさん@七周年:2006/12/11(月) 14:46:01  
南米ではよくあることなんだけど、敵がカッコよすぎたせいで思いっきり印象悪いな
アジェンテはチリ万歳!と叫んで死んでいったけど
今の日本の野党に同じことが出来る奴がいるかどうか
 
 
 

なぜここにいる女性たちは一人で踊っているのだろう
なぜみんな目に悲しみを携えているのだろう
なぜここにいる兵士たちは石の様にこわばった顔をしているのだろう
彼らが見ようとしないものが何であるのか、私にはわからない
彼女たちは失った人と踊っている
彼女たちは亡くなった人と踊っている
彼女たちは見えない人と踊っているのだ
彼女たちは苦悶を言葉にださない
彼女たちは父と踊っている
彼女たちは息子と踊っている
彼女たちは夫と踊っている
彼女たちは一人で踊る 彼女たちは一人で踊る
それが彼女たちに許された唯一の抗議の形なのだ
…中略…
ピノチェット氏よ、あなたは苦しみの種をまいてきた
あなたを支えているのは外国の資金だが
いつかはその資金も止められるであろう
拷問をおこなってもその報酬は支払われなくなり
銃を買う予算もなくなるであろう
あなたには、母が見えない息子と踊っている姿を思い浮かべることができるだろうか
…中略…
いつか、彼らの墓前で踊ろう
いつか、自由を唱おう
いつか、喜びの声をあげよう
そしてまた踊ろう
                    Sting, "They Dance Alone", 1987より訳出
 
 
ピノチェットに虐殺されたアジェンデ大統領最後の演説
 
…わが祖国の労働者諸君、チリとその未来を信じてほしい。
裏切りが押しつけようとしているこの灰色の苦い時は、他の者たちによって克服されよう。
自由な人間にとってより良い社会の建設のための大きな道が切り開かれるのは
それほど遅くはない。 チリ万歳、人民万歳、労働者万歳!
これが私の最後の演説である。 犠牲は無駄にはならないであろう。
裏切りや卑怯に対して少なくとも道徳的制裁がなされることを、私は確信している。
                   J. E. ガルセス『アジェンデと人民連合』(後藤政子訳)より
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