35年前の衝撃
【文学】三島由紀夫神社、慰霊祭にカメラが…「噂には聞いていたが実際にあるとは」
1 :諸君、私はニュースが好きだφ ★ :2005/11/23(水) 21:01:21
文豪・三島由紀夫は25日で没後35年を迎えますが、三島を祭った神社が作られていたことが
明らかになりました。年に1度開かれる慰霊祭に初めてカメラが入りました。
これまで「三島由紀夫神社」の存在は、たびたび研究者たちの間で噂に上っていました。
しかし、その実態はベールに包まれていました。その神社はなんと、民家の中にあると言うのです。
(中略)
神社設立の裏には、ある自衛隊幹部の存在がありました。
三島と生前、親交のあった山本舜勝陸将補です。
三島由紀夫は自決に至る3年前から富士山麓で自衛隊とともに軍事訓練に熱中しました。
その際の指導者が山本陸将補でした。山本陸将補は三島からクーデター計画を明かされ、
ともに立つことを求められたがこれを拒否。
結局、三島は「楯の会」のみによる単独決起の道を選んだのです。
(中略)
山本陸将補は「楯の会」幹部とともに慰霊の場所を探しました。そして、軍事訓練の場であった
富士山麓に屋内神社をつくり、三島由紀夫のみたまを祭ることとなりました。
こうして23年前、山本陸将補の念願であった「三島由紀夫神社」が誕生しました。
室内の神社は、地元の神道系民俗宗教である「富士講」の様式でつくられています。富士山を
御神体とし、それに並んで三島由紀夫が「三島由紀夫大人之命」という神道上の神となっています。
かつては、自衛隊員が30人も参列したといいますが、山本陸将補も4年前に亡くなり、現在では、
三島由紀夫と訓練をともにした自衛隊員の姿はありません。
三島由紀夫研究の権威である佐伯彰一東大名誉教授は、
「噂には聞いていたが、実際にあるとは驚いている」とコメントしています。
ソース ttp://news.tbs.co.jp/newseye/tbs_newseye3166795.html (もう消えています)
9 :名無しさん@6周年:2005/11/23(水) 21:09:28
金閣寺。 仮面の告白。 よろめき文学。 もう35年前かぁ、俺も歳とるわけだよ‥
12 :名無しさん@6周年:2005/11/23(水) 21:12:24
神社って事は神様がいるの? 三島由紀夫本人が神様?あの人自決して神様になったって事?
でも明治神宮も明治天皇が神様なんだっけ? 人間って死んだら神様になる事があるの?
13 :名無しさん@6周年:2005/11/23(水) 21:13:36
背中にダビデの★w
23 :名無しさん@6周年:2005/11/23(水) 21:19:41
俺も当時盾の会に入会したかったんだが高校生だったんで断られたんだよなぁ・・・
32 :名無しさん@6周年:2005/11/23(水) 21:23:42
三島由紀夫と三輪明宏がデキテタってマジ?
38 :名無しさん@6周年:2005/11/23(水) 21:25:35
>>32 ホモ同士でしょっちゅう一緒にいるんだからそりゃ・・・。
三輪明宏もいまみたいな化物キャラじゃなかったしね。
45 :名無しさん@6周年:2005/11/23(水) 21:29:03
三島は東大出の大蔵官僚だったのに、小説家になったら当時の若者が熱狂的に読んでたね。
ファッショファッショって言い出して俺は見切りをつけたけど。
54 :名無しさん@6周年:2005/11/23(水) 21:32:15
>32 前に三輪さんが自慢してたよ
バラの花束もらったって、でも、何も無いはず。
55 :名無しさん@6周年:2005/11/23(水) 21:32:33
一年ほど前に動画みたことあるけど
何自衛隊員わらっとんじゃはげえええええええええ! のれやおおおおおおお って思った
58 :名無しさん@6周年:2005/11/23(水) 21:34:25
三島ってひ弱だったんで、その反動で身体鍛えたりウヨに走ったりしたんだよね。
63 :名無しさん@6周年:2005/11/23(水) 21:37:31
三島と一緒に自決した盾の会の子分と恋人同士だったんだよね。
三輪がどうだったかはわからないけど、本命はこっちだったはず。
もっとも盾の会はみんなで輪になってたらしいけどね。
むかしの侍の衆道趣味を気取ってたらしいけど。
68 :名無しさん@6周年:2005/11/23(水) 21:40:08
盾の会の制服って自衛隊の間じゃ「宝塚かよ!」って笑いものだったらしいよ
結局究極のナルシストだったんじゃないの?この人。
71 :名無しさん@6周年:2005/11/23(水) 21:42:57
>>63 森田必勝とできてたかどうかは分からない。
他にも色んな人との噂があるけど、どれも噂の域を出てないね。
75 :名無しさん@6周年:2005/11/23(水) 21:43:34
クーデターと言っても、なんら策があった訳ではなく、単に腹を切るだけだからなぁ。
76 :給食車 :2005/11/23(水) 21:44:15
こりゃ探せない訳だ。 今までさんざん探してたんだが、、、、
77 :名無しさん@6周年:2005/11/23(水) 21:44:17
決起失敗は無念だったようだね。
80 :名無しさん@6周年:2005/11/23(水) 21:46:30
当時のトピックメーカーとしては一流だった。
今の世代には共感されないだろうし、当時の人間としても熱は冷め切っているからね。
かわいそうといえばかわいそうだね。
82 :給食車 :2005/11/23(水) 21:47:00
>>75 【皇居突入計画】
84 :名無しさん@6周年:2005/11/23(水) 21:47:49
>>75 腹切るのが目的みたいなもんだし。
自衛隊が決起しようがしまいが、あの切腹で三島の世界観が完成。
92 :名無しさん@6周年:2005/11/23(水) 21:51:24
阿川先生は三島由紀夫と親交があったけど、あの行動には非常に批判的。
2・26事件を起こした青年将校を賛美するなど大いに間違っていると
生前の三島に苦言を呈したりしている。
大体、陸軍大嫌いの阿川先生が盾の会などに共感を持つ訳がない。
116 :名無しさん@6周年:2005/11/23(水) 22:06:45
確か皇后美智子様が独身の頃、三島と一度だけデートした事があるって聞いた事あるな
117 :名無しさん@6周年:2005/11/23(水) 22:07:10
>>116 お見合いしたのでは?という噂があるね。
125 :名無しさん@6周年:2005/11/23(水) 22:11:20
まえに都知事が三島の作られた体つきを、ケチョンケチョンに貶していたね。
136 :名無しさん@6周年:2005/11/23(水) 22:18:00
解釈したヤシが下手糞でなかなかスパっと切れなかったらしい
首に何回も刃を当てた傷があるらしい
143 :名無しさん@6周年:2005/11/23(水) 22:23:38
オレが小学校の時、少年マガジンに「盾の会」に入ろう!って特集記事が載ってた。
オレの歳はまあ想像つくだろう。
145 :名無しさん@6周年:2005/11/23(水) 22:24:33
>>136 下手つーか、腹切ったときに痙攣して体が仰け反るのを考えていなかったらしい。
おまけに三島は本気で腹切りたかったので「まだまだ」となかなか首を切らせなかったため、
さらに余計首を落としにくい体勢になっていて、最後は押さえつけるようにして首切ったらしい。
実際三島の切腹痕は、15センチぐらいにも及ぶほどのものだったらしい。
一方、次に腹切った森田のほうは、介錯が三島の死に様にビビッて早めに首をおとしたので、
切腹痕はかすり傷程度だったらしい。
148 :名無しさん@6周年:2005/11/23(水) 22:26:00
まぁ、確かにクーデターはおかしな行動だったと思うけど、
作家としてはこの人はかなり偉大な人だよ。
あともう少しで日本人初のノーベル文学賞受賞することができたんじゃなかったっけ?
なんで現代日本でこれだけ知名度が低いのか分からん
162 :名無しさん@6周年:2005/11/23(水) 22:33:03
>>148 三島先生は予言してましたよ。
俺の死後、俺の作品は人々に忌避されるであろう、と。
だってこれだけ魂や精神性を経済と引き換えに、カネに換えるのが平気な風潮になってきちゃあね。
185 :名無しさん@6周年:2005/11/23(水) 22:48:48
介錯の時、森田は何度か三島の首を刎ねるの失敗したんだよな?
佐々が自決場所の部屋に入って、血を吸った絨毯の感触が忘れられないと書いてたっけ。
194 :名無しさん@6周年:2005/11/23(水) 22:53:53
佐々の本はなんだっけ、
無線で連絡した警官が、三島の胴体と首、およそ3メートルの距離!
と連絡して、見えない状況をわかりやすく描写したとか、
総監室の赤絨毯を踏んだらジュッと音がした。 床がすべて血に染まっていた。
とかいう話だなあ。
204 :名無しさん@6周年:2005/11/23(水) 23:02:23
十代の安部譲二が(ゲイ?)バーの用心棒をしていた頃
常連の三島に頼まれてボクシング・ジムを紹介した。
しかし三島は少しして辞めてしまった。
顔を潰された形の安部は「あんたは見せかけの身体が欲しかったのか」
三島は顔を真っ赤にして怒った。
206 :名無しさん@6周年:2005/11/23(水) 23:02:45
市谷の三島の演説を評して、筒井康隆は「発声練習がたらなかった」と書いてたな。
筒井の三島の評論はまじで面白かった。
三島は川端康成がノーベル賞を取ったときにこの先20年は日本人からは受賞者は出ない。
次は大江だなって発言していました。 すごいね。的中してるよ。
三島が美輪にぞっこんだったらしい。 また川端と三島はホモ仲だったらしいしね。
西馬込の三島亭って今はどうなってるのかな?あの家の写真集何年か前にでたよね?
美しい星、午後の曳航、青の時代が俺は好きだな。 文学者としては本当の天才だと思う。
241 :名無しさん@6周年:2005/11/23(水) 23:39:48
三島本人による装丁の本を持っている人に見せてもらったが、
色々と過剰で箱から出して眺めただけでお腹一杯になった。
なんていうか壮麗なゴシック建築を見上げて、めまいがするような。
249 :名無しさん@6周年:2005/11/23(水) 23:47:26
三島自身は犬死することを十分承知して死んだんだよ
クーデターなんて成功するはずが無いと十分知っていた
だからこそ最初から切腹するつもりだったんだよ あれは「クーデター」などというものでは無い
あの時代に、自衛隊までもが左翼勢力に取り込まれてしまったら日本はどうなる?
そういうことに対する警鐘という価値が、あの時代のあの「死」には確かにあったんだよ
253 :名無しさん@6周年:2005/11/23(水) 23:51:41
なんでもそうだがきちんと時間軸に沿って
当時の状況をちゃんと把握した上で判断しないといかんよ
今の価値観だけで理解しようとするから、ミスリードするんだよ