修理ミス

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日航機墜落事故、20年目の新証言

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日航ジャンボ機墜落事故で20年目の新たな証言です。
事故の発端は、ボーイング社の修理ミスにあったとされていますが、これまで沈黙を
続けていたボーイングの元社員が、事故の背景を初めて語りました。
 
20年前の御巣鷹山。現地調査に訪れたアメリカの調査チームの中にジャンボ機の
製造メーカー・ボーイング社の社員の姿がありました。そのひとり、
ジョン・パービス氏は、当時の凄惨な現場が今も目に焼き付いているといいます。
 
墜落現場は、アメリカでも例がない急斜面の山の中。調査に当たり、まず、
パービス氏が注目したのが生存者の証言でした。生存者のひとり、落合由美さんが
群馬県警実況見分に立会った時の写真の天井に書かれた「音」という文字。
「バーンという大きい音がした」――生存者のこうした証言からパービス氏は、
当初、「これはテロ事件ではないか」と思ったといいます。
 
残骸の表面を薬品でふき取り爆発の痕跡を調べましたが見当たらず、パービス氏らが
次に着目したのが機体の修理記録でした。墜落したジャンボ機は事故の7年前に
「しりもち事故」を起こし、機体後部の壊れた「圧力隔壁」をボーイングの技術者が
修理していました。
しかし、結果的にこの修理に「ミス」があり、事故が起きたというのです。
なぜ修理ミスは起きたのか?当時の事故調査委員会は修理担当者との面会を
求めましたが、ボーイング側のガードは固かったといいます。
 
「(修理担当者は)もういないんだと、終わった人たちはいないの一点張り
 だったですね」(事故調・専門委員としてボーイングを訪問した川幡長勝日大教授)
 
刑事訴追を恐れ沈黙を続けたボーイング。パービス氏は、その沈黙を破り、今回、
修理ミスに至った背景を初めて証言しました。
「修理に使われた部品は、本来、重さにしっかり耐えられないといけないのですが、
 担当者は、ただ、隙間を埋めればいいという程度のモノとしか
 考えていなかったのです」(ジョン・パービス氏)
そのミスは、修理後の検査でも発見できませんでした。
「修理が完了し、検査官がチェックした時、外から見えない状態で塞がれていたので
 見逃してしまったのです」(ジョン・パービス氏)
墜落した機体の「修理ミス」が発覚した時、ボーイングの技術者の中には
涙を流す者もいたといいます。
 
「いつの日か、追悼の日に日本に行き、遺族と一緒に現場にのぼって追悼の意を
 表するのが私の夢です」(ジョン・パービス氏)

 
あの日から20年
私は結構早い時間から、この事故のニュースを見ていました
MHKが夜中もずっと搭乗者名簿を放送していて、その人数の多さに圧倒された記憶があります
 
後日会社の取引先の方が、乗っていたことが判りました
手帳に遺書を残していた内の一人、仕事の出来る優秀な方だったそうです
事故が急に身近に感じられました
 
日本航空の社内では、この事故後の入社組が半数を占める様になったとか
経費削減や合併の軋轢など色々あるみたいですが、安全第一でお願いします、乗らないけど