2chより拾い物

 
 

「おまえらの自慰様の戦争体験を誇り高く語れ 」スレよりその2

 
202 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 17:06:00
おじさんがガダルカナル島で戦死したそうです。
 
203 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 17:08:52
爺さんどころかウチの両親が戦中育ちだ 父は食いモンには全く困らなかったそうだ
そのせいか未だに偏食が多いつうかもったいない精神があまり無い
母はたまねぎばっか食わされていたそうで今でもたまねぎ大嫌い
 
204 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 17:09:35
父方の祖父→民間輸送船の乗組員で、南洋で何か美味いものを食いまくってたらしい。
母方の祖父→隣組防空班長?で、銃後の国民にイバってたらしい。
 
両親の仲人→南洋のどこかで迷い込んで浮上してきた米潜水艦を発見、夜陰に乗じて
         抜き身の日本刀を口にくわえて泳いで侵入、油断していた白豚船長を人質に
         潜水艦を奪取。後勲章を貰って早期帰国。
         ……って、ウソくせー、あまりにも(;´Д`)
 
205 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 17:12:27
俺の父方のじじいは戦時中岐阜に疎開して農業
母方のじじいはニート。東京空襲の時ひめゆり隊で死体運んでたとか抜かしよる。
ひめゆり隊って女だよな? まあどうでもいいや。俺挑戦人だし。
 
206 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 17:13:33
>>162 167 誇りをもってよろしいか?
 
207 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 17:15:53
>>206
補給部隊を軽視したために日本軍はダメだったということ
数少ない補給部隊がサボってたとか、馬鹿ばっかだったとかいうことではない
 
208 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 17:17:41
>>205 鉄血勤皇隊って少年部隊があったからそっちじゃね?
 
209 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 17:22:16
ひいじいちゃんは日露戦争に参戦。大正、昭和に入ってから三笠が記念艦
(戦中は神社のような扱い)になってからは三笠の「館」長に。親戚のおじさんが言うには
よく日露戦争の自慢話をしてたらしい。じいちゃんは真珠湾攻撃以外の海戦にはほとんど参加。
水雷艇長門、摩耶に乗って、摩耶はシブヤン海で敵潜水艦に轟沈させられるが奇跡的に助かる。
 
210 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 17:28:05
米兵に日本兵と間違われて撃たれそうになったけど、子供だったから助かった
(撃たれなかった)そうです。(沖縄)  撃たれてたら、たぶん今、自分はいない・・・
 
211 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 17:28:34
母方
フランスに行ってカメラ買って来たことが最大の思い出だったらしい
で、生ヒトラー見たと言ってはった
 
父方
砲兵やってて、途中でアメーバ赤痢にかかって帰ってきて、戦後役所に入った
死んだ時の遺品整理で出てきた手紙に「73砲兵隊」って書いてあった記憶があるけど
詳しくは不明
 
212 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 17:29:57
うちのGちゃん自分で丸太小屋つくって畑開墾してた。
そのとき召集令状がきて参戦、帰って畑仕事して→親父→おれ
国道ができて畑とられて1億円ころがりこんできた おれニート、おGたんありが㌧
 
213 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 17:30:14
あと一週間長引いてたら爺ちゃんボートで特攻してたらしい。
 
214 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 17:33:26
あー、あと母方の祖父は材木問屋やってて、軍部に取り入って甘い汁を吸うべく
接待やら山吹色の最中やら、いろいろと画策していたらしいw
それが敗戦ですべて水の泡。抜け殻になった……と聞いたな。
 
215 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 17:35:37
>>214 復興需要で儲けたんじゃないの?
 
217 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 17:45:33
>>215
つーか、なーんもやる気無くなっちゃったらしいんだわw
それから軍の協力者ということで、プチ吊し上げはくらったらしい。
そんなワケで、儲ける前に商売やめちゃったんじゃないの?
実際、ウチが昔材木問屋だったの、ずっと知らなかったし。
 
218 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 17:54:05
戦後の材木系は凄い金持ちになってるよ あと闇米関係者
 
220 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 17:58:05
父方のおジィちゃんは南方で戦車部隊(≒ボール)だったらしい。
母方はガッコの先生。よくわからん機械の設計してた。
父方のおバァちゃんの弟と従兄弟はシベリア帰り。
二人仲良く帰って来たけど、おバァちゃんの弟はこないだ死んだ。
ちなみにウチの田舎は戦争で死んだ人のお墓はとんがってます。
 
221 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 18:06:50
俺のオヤジは台湾生まれ。4歳か5歳の時にサトウキビ畑の道を歩いていたら米軍の艦載機が
サトウキビの精製工場を爆撃して低空飛行で飛んでいったらしい。
その時パイロットが親指立ててたのがハッキリ見えたとか。
 
222 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 18:10:50
じいさんは小倉造兵廠の中の工場の工場長をやっていた
小銃とか小型銃器専門工場だったらしい
国に雇われている形で軍属扱い、工場長なので配給も他の人より多くて
毎回一升瓶が2本付いてきたそうだ、戦時中は裕福に暮らしていたらしい
しかし、定年退職する時が昭和20年敗戦と重なり退職金は出ず
敗戦で紙切れとなった国債(?)が山ほど残っただけだったそうだ
国債は家族全員で盛大に燃やしたそうだ その後、失意のうちにじいさんは亡くなった
 
内緒で持ち出した38銃10丁分の部品が唯一の遺品
 
224 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 18:18:58
京大卒の研究員だったので戦場には出ていないらしいが、確証は無い。
 
225 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 18:20:22
詳しくは知らんが、満州で教師してたらしい。うちのオヤジは閃光弾かなにかで遊んでて、
その閃光弾が爆発して死ぬかと思ったと言ってた。爆弾でなくってこうして俺はいるわけだが。
 
228 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 18:27:08
フィリピンに行って終戦。夏休みの宿題で戦争の話し聞いたとき、
遠い目をしながら「あの時アメリカ人を撃たなかったら自分が死んでた・・・。」
って涙ためてた。後はもう話さなかった。子供ながら、これ以上聞けんとおもたよ。
戦後の軍人の集まりもよく行ってたな。
もう死んじゃったけど、また会いたいなじいちゃん。
 
229 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 18:27:43
俺の爺さん満州で額打ち抜かれたんだってよ 傷跡もちゃんとあるが、なんで生きてるんだよ・・
 
231 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 18:32:25
母方のじいちゃんは警察の高官だったので戦争に行ってません。特高警察ではないらしい。
父方のじいちゃんは台湾に3年住んでいたらしい。留守中にばあちゃんが子どもを出産。
(私の父)
 
232 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 18:33:19
うちの爺さん戦時中千葉で鉄道作ってたらしいwww多分今の新京成www
 
234 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 18:36:50
とりあえず陸士卒だった 中国にいって勝手に農民たちとなかよくなって作物もらった
その作物で味噌しるつくって食ってたらいつも三杯食うやつがいてみんなでからかっていた
 
ロシアに抑留された友人が何人もいた。
 
陸士卒業してすぐ敗戦だったのに戦犯扱いされてまともに就職できなかった
金持ちはそのまま東大に入りなおした。
たしかゼロッ○スの会長とかがそんときの同期じゃなかったかな。
 
235 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 18:37:20
母親、40のときの子供だから一番上の兄貴とは20以上離れてるんだよ。
だから、その兄さんが戦死してるwww
つい最近まで、伯父さんが戦死したって知らんかった。母親もよくわかってないと思う。
あの古い遺影の軍服姿の若者が伯父さんだったなんて不思議な感じだね。
 
236 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 18:38:36
中国で色々して勲章をけっこう貰ってたんだって
 
239 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 18:40:00
お前らの爺さんっていくつだよ
 
240 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 18:41:02
>>239 生きてたら83歳
 
241 :きのこ養殖 :2005/08/06(土) 18:45:59
うちのじいさんはパイナップル剥くのうまいぞ 喰いまくってたらしい
 
243 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 18:47:36
二十三でインドネシアで戦死したらしい 墓に二十三歳没って書いてあった
遺品もなくて何も分からない 死んだって知らせだけが届いたらしい・・・
 
244 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 18:47:50
馬に乗ってたってことしか聞いてない
 
245 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 18:48:10
( ゚∀゚)アハハ八八ノヽノヽノヽノ \ / \/ \!
おじいちゃんは太りすぎて身体検査で落ちました。
そして駐屯地で兵隊さんの飯作ってましたwwwwwww 田舎の裕福な農家なので申し訳ない。
  
246 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 18:48:41
出兵前に神社へ無事に帰れるように祈願しに行ったらしんだが
その時の帰りに鳥居にションベンかけたんだと。
  
でも生きて帰ってこれたのは神様のおかげだと思います。。。
(初期に出兵したってのもあるらしいけど)
 
247 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 18:49:38
確か兵役を拒否して反戦歌を作ったそうな。かたみの丸めがねがうちにあるよ。
 
248 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 18:59:59
攻撃の九州、防御の東北って言われてるけど、
当時、世界一強いと言われた龍兵団・菊兵団のじいちゃんがいる奴の話が聞きたい
 
250 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 19:03:42
とにかく逃げ回ってたらしい。隔世遺伝なのか、足が速い俺・・・。
 
251 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 19:04:29
うちの爺ちゃんは味方に突撃の号令を出して飛び出したが、自分一人しか飛び出しておらず
天皇バンザイ」って言って死のうと思ったが生きてて
ケガの治療中にばあちゃんと出合って結婚したと言ってた
 
252 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 19:04:56
爺ちゃん、結核にかかってたらしく参加出来ず・・・ もう死んじゃったけどなー 
 
253 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 19:05:59
父方が生まれる前、母方が幼稚園のころ死んでいるので両方とも伝聞だが
 
父方:山梨の豪商で賄賂贈りまくって赤紙阻止したらしい。。テラハズカシス
 
母方:軍に入ったんだが相撲が強くて部隊対抗の相撲大会の代表になってしまい
   上官が戦死させないために内地勤務、だけど相撲大会で優勝するたびに
   昇進して終戦時には偉くなっていた
   母方のお墓のとなりに「第〜砲兵部隊慰霊墓」がある。
   母方の墓参りにいくと「慰霊墓にも線香あげなさい!」と、小さいころから言われてきた
 
255 :名無し超特急 :2005/08/06(土) 19:08:02
沖縄特攻隊旗艦に乗員し、殉死いたしました。
今は九州沖の海底で195年後の地球の危機に備えて眠っておられます。
 
256 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 19:09:23
陸軍、満州にいた時にソ連の捕虜。そんでシベリア行き。風呂で軍歌歌ってたのを覚えてる。
  
257 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 19:13:06
農家のじぃちゃんの話。戦後食い物が無い時代、米持ち運ぶときとかに落ちる米粒とか麦とかを
チョンが拾いにきてたらしい。(田んぼのタニシとかも食ってたらしいが
 
最近の北朝鮮のニュースを見て怒ってた。
今でも爆弾持って特攻しろといわれれば北へ特攻してやるとも言ってたな。。
 
258 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 19:13:07
うちのは訓練中に大怪我して入院 重症だったのでそのまま田舎に返された
もし帰ってなかったら一家で満州行きだったガクブル
 
259 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 19:14:27
死なないコツは、一番初めに戦場を駆け抜けることっていってたな。
敵の弾が全然あたらないらしい。
戦争ではないけど、「辻投げ」ってのが流行ってたらしいよ。当時
 
260 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 19:15:14
酔うと近所の自慰様同士でやれ大陸で何人殺しただの、
やれ何人とやっただの自慢しまくってたな
 
261 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 19:15:55
風呂で軍歌歌ってたなぁ 爺さんじゃなくて親父だけど。親父も他界しちゃったけど
強酸等支持のバリバリの左翼だったけど、軍歌と旧日本軍の艦船・戦闘機が 大好きだったなぁ
 
262 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 19:16:35
>>257
うちのバーチャンの話だと、農家の人はすごく威張ってて
なかなか食べ物を売ってくれないんだと、着物ぜんぶ食い物に変わったと言ってた。
 
263 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 19:16:44
お爺ちゃんは身体が弱くて召集されなかったらしい。
お婆ちゃんは生活が苦しいから売春してたらしいw
これ聞いた時、意外にも汚らわしいとか不潔だとかまったく思わなかったなあ。
逆にそのお陰でオレがいると思えたし、なんか感謝の念があったな。
 
264 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 19:18:17
じいさんは戦争に行ってないが、ひいじいさんは今は靖国にいる
 
266 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 19:19:54
>>262
母方の実家がそんなだった。
母者の母者はいいとこのお嬢さんだったのにいきなり貧乏になって苦労したそうだ・・
 
269 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 19:21:16
行こうとしたら終わってた、だって。俺はしっかり血を受け継いでるなぁ、と思った。
 
270 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 19:21:47
靖国いってみ。あそこはすごいよ。靖国問題では反対派だが
戦没者にとっては靖国以外はないな。(除くA級) 中国人も通訳付きでけっこういたな。
 
272 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 19:22:22
俺の祖父は靖国にいるらしいお 今度言ってみるお
 
273 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 19:24:17
お医者さんでどっかの島に行ってたらしいが弾に当たって日本に戻ってきたらしい
今年はじいちゃん初盆だ 毎年一緒に山で遊んでくれる元気なじいちゃんだった(´・ω・)
 
275 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 19:25:20
うちの爺さんは病気で行ってない
 
276 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 19:25:51
ミャンマーで戦車に乗ってた
 
277 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 19:26:02
兵士は皆、弾除けの鉄仮面をつけていたらしいが、首の方から、仮面の中に銃弾がぐりっと
入って、隣にいた兵士が死んだという話を聞いたことがある。
もしお祖父さんがそこで戦死してたら、俺は居なかった。よく生き残ったもんだ。
 
278 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 19:26:35
じいちゃんは神風特攻隊だったが、途中でUターンして帰ってきたと聞いたことがある。
冗談だと思うけど
 
279 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 19:29:17
銃声に驚いて立ち上がった馬から落ちて頭打って死んだらしい
それでも恩給もらえたっておばあちゃんが誇らしげに話してくれた
 
280 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 19:29:37
>>278 あれって飛んだら帰ってこれないんじゃなかったっけ?
 
281 :名無し超特急 :2005/08/06(土) 19:31:16
>>280 離陸直後で故障とかしたら話は別なんじゃないの?
 
282 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 19:31:18
>>280 整備不良なら帰って来れる。
 
283 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 19:31:32
叔父さんの話も書いておくか 召集されて南洋へ向かった、戦うことなく船ごと撃沈
骨壺が帰ってきたけど、中にはミカンが一個入ってたそうだ(祖母談)
 
284 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 19:32:38
うちの爺様は戦艦武蔵の砲術関係の乗組員だった。
でも軍機、加えて爺様自身レイテで武蔵と運命を共にしたから詳細はわからない・・。
 
285 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 19:32:45
俺のじいさんは松代大本営地下壕で仕事していたらしいお
 
286 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 19:33:27
海軍飛行予科練習生で終戦ソ連軍の侵攻を阻止するべく漁船を徴用し、千島に向かうが
到着前に千島の日本軍は停戦。ちなみにその後、航空自衛隊発足と同時に入隊。一佐で退官。
 
287 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 19:34:29
父方の祖父は、障害者だったために徴兵検査で落とされた。
母方の祖父は、障害者ではなかったが徴兵検査で何かにひっかかって落とされた。
どちらか一方でも検査に合格して戦争に行っていたら俺はこの世に存在しなかったかもな。
 
288 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 19:35:08
14万人死んだとか言うけどさ、いまいちリアリティなかった。
さっきふと、文字通り7万個のマ○コが失われたのだと考えたら、
原爆の酷さがリアルに認識できた。
ちなみにうちの自慰さんの兄弟は樺太にいったらしい。
 
289 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 19:38:51
爺さん関東軍にいた。敗戦後シベリアに抑留され、5〜6年帰ってこれなかったそうだ。
サヨク嫌いは筋金入りだった。シベリアでよほど醜悪なものを見て来たんだろう。
 
290 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 19:39:11
母方のじいちゃんはフィリピンに行ったらしい。
肩に銃弾受けたとかで、痕を見せてもらった事がある。
父方のじいちゃんは既に年だったらしく徴兵は免れ、捕虜の監視?のような事をやってた
らしい。父が中学生くらいの時に亡くなったから詳しくは知らないが。
 
291 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 19:41:57
爺さんは小さな船ではあるが艦長を仰せつかってた様だ
戦後はGHQに雇われたりして所を見ると、そうたいした役職ではなかったようだが
爺さんのおじさんは海軍大臣まで勤められたようだ
 
292 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 19:44:59
じーちゃんは製鉄所建造の為に室蘭にいた時、大阪に召集された
でも到着した時には本体が出陣し終わっていたので残留部隊に入った。
和歌山とかで塹壕を掘った  おわり
 
ばあちゃんのほうが凄い
子供3人と室蘭で避難していたが、艦砲射撃が凄いので(7/14〜15)
かぼちゃとジャガイモを福井の実家に送って自分も福井に行った。
到着した時には野菜が全部食べられていた。
春江にある姉の家に避難したら、福井が空襲を受けた(7/19)。
福井にいた家族は(お堀に入って)命からがら春江に逃げてきた。
ばあちゃんは子供を3人連れていたので、お堀に逃げ込めなかっただろうと言っていた。
「お金はいくらでもあったが、誰もお金では売ってくれなかった。
だから自分のちりめんの着物を子供服に仕立て直して野菜に交換してもらった」
交換レートは服一着となすび3本である。
 
293 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 19:46:50
うちのじーさまは戦艦津軽に乗って地雷?みたいなものを海に撒いていたらしい。
戦艦大和の中で寝泊りしたことが自慢の種だ。
 
294 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 19:47:21
満州で一発稼いできた
 
295 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 19:51:31
>>293 正確には敷設艦津軽だな。戦艦時代なら日露直後? 地雷の海版は機雷と言うだよ。
 
297 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 19:54:44
>>295
敷設艦っていうんですね。知らなかった。大正12年生まれですから、第2次大戦だと思います。
日露時代には戦艦だったんですね。
 
298 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 19:58:06
爺さんは体が弱くて赤紙こなかったらしい 
ばあさんは広島の原爆のきのこ雲を遠くから見たと言ってた
母方の祖父母はどっちも戦後生まれだ
 
299 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 19:58:26
母方の祖父は満州で衛生兵?医療系をしてたらしい。別に医者とかではない。
父方の祖父は鹿児島から特攻隊員として出撃予定だった。
しかし終戦でそれもなくなりました。二人とも生きててくれてありがとう。
 
300 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 19:58:31
>>297 すまん、敷設艦常磐が元戦艦なんで勘違いした。純粋な敷設艦だ。
 
301 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 19:59:44
父方の祖父/どうやら海軍所属でサイパンに居たこともあるらしい。
足軽頭ぐらいの役職だった様だ。
敵船と思って爆弾落としたが失敗。反撃もしないので機銃掃射に切り替えて接近したら
巨大な亀だった、とか。 暇だったので将棋をしてたとの事。
経緯は知らないがとりあえず敗戦を迎え、日本に戻る。
 
母方の祖父/満州で車の工場で働いてたとの事。
当時、満州に移住すれば兵役を逃れることができたそうな。 敗戦後、日本に逃げ帰る。
その後、満州でのコネで、とある自動車会社の役員になるも、すぐ退社。
 
302 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 20:00:29
海軍医  本人いわくステータスとしては一流企業勤務や大蔵官僚よりも上だったらしいよ
 
303 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 20:03:27
私の祖父は、南方のカンボジア、タイ、シンガポール方面でイギリスの空母やら戦艦、
又は相手に爆撃をする爆撃機の飛行士をしていました。
また、戦場に架ける橋のあそこでの戦闘も経験。
終戦4ヵ月前から台湾で兵糧管理をしながら、本土決戦を待っていたそうです。
もうちょっと、戦争の話を聞いておけばよかった。4年前に死んじゃった。。
 
304 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 20:04:23
父方、支那事変に参加、空腹で死牛の肉を食う、
降服後敵に奪われかけた軍隊手帳を今でも神棚に置いてる
母方、俺が小学生のときに倒れたんで話はあまり聞けなかったが、
戦後戦友会に参加、海軍、アニヲタ、小学生の俺にエロゲーをやらせてくれた
 
305 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 20:04:45
父方の祖父に戦争系の話聞いたことない
母方の祖父は少年飛行兵で、鹿屋にいた。
背中に地雷背負って戦車に突っ込む訓練をしてたそうな。
防空壕の上でかぼちゃ作って皆で食べた、とか夜中に脱走者が出たとき非常呼集かけて
皆が松明持って山狩りしたとかって話も。
終戦後、中国にわたって共産党を皆殺しにするために馬賊になる!!って言って
中国に渡ろうとするも教官が
「大事な命を戦争が終わった今粗末にするな、貴様らの命が将来のこの国の力になり、
 子供達に幸せな未来を築く事になる!!」って言われてビンタされて、馬賊への夢を断ち、
国家復興の為に建築会社に就職。ダムだの高速道路だの作って今も元気。
 
祖母は神戸空襲受けた。祖母の父親は戦前は貿易会社の幹部で、
開戦直前でも三宮ガード下の洋食屋で「ラムネとカレー」を注文するのが約束だったそうな。
戦争が始まって、祖母の父親は海軍に入隊。戦艦(名前は忘れたが、軍艦と言ってる)の搭乗員に
なって沖縄のほうに行くも船が沈み、なんとか生きて帰ってきた。
祖母はリアルで火垂るの墓を経験したクチなのであの映画を見るといつも泣く。
 
306 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 20:04:47
ハワイ行ってきて港の戦艦に爆弾落としてきたってさ。
 
307 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 20:06:53
戦争の頃は小学生だったらしいからあんまり良い話無いけど、機銃掃射を1回受けたことが
あるらしい。奈良に住んでたから空襲も滅多に無かったんだが、
大阪大空襲の時は大阪方面の空が真っ赤だったとか。
 
308 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 20:08:51
母方のじいさんはロシアの前線で犬を養成していた、無事帰国
父方は中国前線で戦って戦死 母方のじいさんの弟は特攻隊で戦死
もう少しじいさんに生きてるうちにいろいろ聞いておきたかったな
 
309 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 20:09:12
うちは、ひいひいじいちゃんが町長だったので、ひいじいちゃん達には赤紙が極力遅く来る
ようにし、召集されても、親戚の官僚にカネをばらまいて、内地勤務にさせた。
よって、戦後一族の男達が温存されたので、事業で栄えた。
 
310 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 20:09:55
じいちゃんは20ミリ機関砲作ってた
あと40ミリ高射砲?も作ってそれは戦艦大和に搭載したって言ってた
 
311 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 20:10:13
シベリアに抑留されてたけど、当時の体験談は家族にも話していない。
よほど悲惨だったんだろう、家族もそれについては触れない。
 
312 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 20:11:09
うちの爺ちゃんは戦争の体験記を原稿用紙に書き残してるんだが、
旧かな使いで読めねーよ・・・orz
 
313 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 20:13:51
サイパンで玉砕。
ばあさんいわく、棺桶が実家に届いたが、紙一枚貼ってあって、何も入ってなかったと言う事だ。
 
322 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 20:28:52
インド洋にて戦死
 
323 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 20:33:34
じいちゃん通訳してたらしい 戦闘した事無いらしい
 
324 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 20:41:23
でもさ、日本軍が中国の人たちに「酷いことをした」っていうのは事実でろ?大戦中、中国に
出兵していた俺んちのジイさんだって「女は犯して、赤ん坊は煮えた湯の中に投げた。

あんな酷い事をよくやれたもんだ・・・今では中国の人達に頭を下げたい気持ちだよ(泣)」
って、反省もしてるよ
 
327 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 20:44:02
ビルマにて戦死
 
329 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 20:46:52
満州で警察官やってた。ばーちゃんも満州にいて母親と帰国。
それに遅れてじーちゃん帰国。よかったよ。
 
331 :( ゜Д゜)y━・~~~ :2005/08/06(土) 20:51:25
バイオリン弾いて戦場から戦場へと、兵士を励まして回っていたらしい。
その時に使っていたという遺品が今でも大切に残っている。
 
332 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 20:51:28
満鉄社員→根こそぎ動員→ソ連軍捕虜→引揚
 
333 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 20:54:42
父方のじいちゃんは、南洋諸島のどっかに赴任していたらしい。
軍の事務系の仕事?をしていたらしい。戦後?無事帰国。
 
母方のじいちゃんは、元々軍人で戦争が始まる前に病死。
母方の叔父さんはゼロ戦乗りで、真珠湾攻撃にも参加したとか。
 
みんな死んじゃってるので詳しくはわからん。
 
334 :( ゜Д゜)y━・~~~:2005/08/06(土) 20:56:11
こういう戦争体験は聞いておかないといけないよなぁ
今日、ヒロシマ関連のニュース見ていて思った。当人達は語りたくない過去なのだろうけども。
 
335 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 20:57:06
俺の曽祖父は公職追放されたけどね。
まぁこれより高い地位にいたやつなど2ちゃんねるにはいない
 
337 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 21:08:20
母方のじいちゃんの兄はトラック諸島で戦死したみたいです。
 
338 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 21:34:49
うちのじいちゃんは、海南島辺りに行った通信兵だったらしい。
その後台湾で家を建て、終戦と同時に帰国したそうな。
 
学生の頃にいろいろ戦争体験を語ってくれたな。
普段は物静かだったけれど、戦争の話になると饒舌に苦労した話を話してくれたっけ。
でも、あまり覚えていない。
 
またそういった話を聞きたいが、そのじいちゃんはもういない。
おまいら、じいちゃんが健在なら、戦争体験を今のうちに話してもらっておいた方がいいぞ。
じいちゃん孝行にもなるし、自分のためにもなる。聞けなくなってからじゃ遅いからな。
 
339 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 21:38:23
お盆が近いからお墓参りも忘れずにな
 
340 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 21:57:37
昔、母親から爺さんの話を聞いた
東南アジアに行ってたらしいがマラリアに罹って帰国 その後、部隊が全滅したらしい
 
341 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 22:00:14
いくらせがんでも一言も語らない内に逝ってしまった。じいちゃん。
 
343 :( ゜Д゜)y━・~~~:2005/08/06(土) 22:01:18
>>341
俺のじいちゃんも最初は「飛行機がなくて戦いにいけなかったんだよ」とごまかしてた。
あの時代、戦った人たちにとっては、戦争に参加したことで罪の意識があるらしい。
 
344 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 22:08:18
母方の爺ちゃんはミンダナオ島上陸後病死 (´・ω・)カワイソス
父方の爺ちゃんは潜水艦に乗って南方へ出撃中撃沈された (´・ω・)カワイソス
 
(‐人‐)ナムナム
 
345 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 22:12:03
友達の爺さんはソロモン攻略戦に参加してたらしいんだが。
大日本帝国軍ってソロモン攻略した事あるっけ?防衛じゃないのかなあっと思った。
つかガンダムかよw
 
346 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 22:14:24
いまだに爺ちゃんが本当は何人兄弟だったのか分からない・・・
婆ちゃんの話だと6人兄弟だったらしいが、
「○○は満州に行って、××は樺太行って・・・」とか指折り数えてる指が
明らかに6人より多いwwww
 
347 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 22:17:39
口を閉ざして語らない爺様どもよりも、開き直って余計な煽りまで入れてる
エノラ・ゲイの元乗員の方が正しいと思うよ。
 
348 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 22:22:55
勝ったら口も軽いだろうけど負けたから。
 
349 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 22:23:13
うちの爺ちゃんは足が悪くて徴兵検査はねられてブラブラしてた。
福井県に海水浴しに遊びに行ってた時に、広島ですごい爆弾が落ちたって
噂が聞こえてきたので、これは是非見とかねばと、3日かけて歩いて見に行った。
って原爆手帳見せながら話してくれたなあ。
 
350 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 22:27:38
話すことも、聞くことも大切だ 嘘の話ばかりがまかり通らないように
家族や大切な人を守るために戦ったんだから、罪の意識を感じることはないと思う
謝罪の気持ちを持って沈黙するのを責めるつもりはないけど
どんな事があったのかを、事実として伝えるためにも話して欲しいな
 
戦うことで、自分の大切な物を守れると信じて死んでいった人たちのためにも
 
352 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 22:34:06
若気の至りで、戦争賛成だった爺ちゃんや婆ちゃんへ太平洋戦争の反省と総括をしていた
自分に乾杯。今では恥ずかしくてたまらない。
 
354 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 22:36:27
うちの爺さんは陸奥の搭乗員だった。
沖縄戦の時に大和に予備乗員で乗る話があったが、怪我で配属されずに終戦を迎えたそうだ
 
355 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 22:36:31
う〜ん,死んだ祖父ちゃんの戦争話の記憶といえば,
1.中国に行っていたようだ
2.特攻隊に志願したが上官に若さゆえに断られた
3.もう一度戦争があったら兵隊志願する
 
今から考えてみると,祖父ちゃんに「あなたの大切なものはなにか?」と尋ねておけば良かった.
一番に来るものが「家族」なのか「国」なのか何かは分からないけれど・・・
 
356 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 22:38:35
俺の婆さんも当時朝鮮に住んでた。終戦後すぐに家に朝鮮人が押しかけてきて、
「デテイケ!デテイケ!」と言われたそうで、大変怖かったらしい。
婆さんの兄(俺の大叔父・既に他界)は、父親(俺の曽祖父にあたる)と平壌に向かう途中で
終戦を迎え、大慌てで戻ってきたそうな。
 
357 :addie :2005/08/06(土) 22:38:46
父の体験談なのでぬるいのもいいところなのだが、父は「紅の豚」見たとき、
瀬戸内海から川西の飛行艇が飛び立つのを見たのを思い出した。と言っていた。
マジであれぐらい水柱が立つそうで、それを見た父をはじめ当時の小学生たちは
「これはもう絶対日本は勝つ」と思ったそうだ。
 
358 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 22:42:59
うちの爺さんは満州でロシア語の通訳していた。母さんも生まれは満州
ロシア兵に随分とやさしくしてもらったといつも話している。
帰国した日本でのほうが酷い目にあったとも言っていた。
とくに農家の人はいじわるだったらしい。
 
360 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 22:49:08
終戦後、朝鮮人に酒だと騙されてメチルアルコールを売りつけられて、
飲んで3日寝込んで失明しかけたそうな。
 
361 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 22:56:56
うちの爺さん戦時中だと34〜38歳ぐらいなんだけど出征したりするもんかね?
なんか中島で飛行機作ってたとか大陸に行ったとか嘘ばっかつくけど。
 
でも戦後、警察予備隊が出来たら速攻で入隊して一期制だったらしい。
 
362 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 22:57:58
俺の爺さんは後からの援軍で南京に入場した
行軍の邪魔だからって道の脇に死体をバンバン埋めたって言ってた。
 
363 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 22:58:09
じっちゃんは17歳のオナニー盛りの小僧だったけど
訓練学校で零戦操縦してた。出陣直前に戦争が閉店して帰ってきた。
 
365 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 23:00:18
戦史に詳しい人、トラックで戦死するとしたら昭和何年くらい?
陸か海かは知らないんだけど、そこで戦死したって。
 
366 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 23:01:48
もう何年も前に死んじゃってるけど、上海で諜報活動や工作活動をやってたそうだ。
 
367 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 23:15:39
>>365
昭和19年2月に空襲で基地機能を失ってるから昭和18年後半〜だな。ぐぐりゃすぐ出てくる
 
368 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 23:21:23
ひととおり出たか?
ちなみにウチの爺ちゃんは2回徴兵されて、1回目は満州かどこかで敵と撃ち合い、
2回目は青森かどこかの駐屯兵だったと言っていた。
 
終戦は青森にいる時、地元のおばちゃんが走ってきて、
「兵隊さん!日本負けたって!」といった言葉で知ったらしい。
その時、大日本帝国が〜〜とか神国日本が〜〜などとは思わず、
単純に「やっと家に帰れる。」とだけ思ったそうな。
 
369 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 23:25:29
日露戦争で足を撃たれ負傷し帰国(今でも弾は残ってる)
フィリピンで砲台を引いていたらしい。部隊の8割が戦死したそうな。
まだまだ元気でいてください。
 
370 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 23:30:57
伝染病にかかり帰国。変なもの持ち込まないでくれw
 
371 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 23:34:03
父方の自示威はよく志奈にはかかわるなっていってたなあ。
とにかく首を切るのが好きだとか人肉食べるのが習慣になってるとか。
 
372 : :2005/08/06(土) 23:35:21
うちのGさんは、戦争の事は何も喋らなかったな。ただ近所のGさん連中が
「坊主のじいさん昔は凄かった、顔がよぅ似とるわ」などと言われ続けたけど
結局何が凄いのか分からず逝っちゃった・・
 
唯一覚えてるのが世界ビックリ大賞でオパーイが放映されてる時にオレは照れて俯いていると、
Gさんが「こんなもんめったに見れんから、よー見とけ!」と一喝された事くらいだな・・。
 
ばあさんは「空襲の時、爆撃しに来た飛行機を撃墜させたった」と言ってたが
どうやって撃墜させたのか不明・・子供ながら怪しいと疑ってしまう発言だったな・・。
 
373 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 23:36:00
俺のじいさん身長175CMあるんだが、当時としてはがたいがいいもんだから合う軍服がなくて
しょうがなく上着のホックをあけてたら行く先々で「きさん!態度が悪い!」と
上官に殴られてたらしい。
 
なんとか体に合う軍服を支給してくれるよう上に頼んだら、陸軍だったのに何故か海軍の軍服が
届き、これでもいいかーって着てたら「きさん!なして海軍がここにいる!規律みだすな!」て
また上官に殴られて、もう嫌だって上に泣きついたら
「お前いたらぎくしゃくするから前線こなくていいよ」って言われて後方の食料班に。
おかげで戦争は生き残ったけど元いた部隊の兄弟はみんなしんでしまった。
 
374 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 23:38:16
ソ連の捕虜になってしばらく帰って来れなかったらしい
 
375 :( ゜Д゜)y━・~~~:2005/08/06(土) 23:40:52
祖父母の家はじいちゃんが建てたらしい。俺の父の実家もじいちゃんが建てたらしい。
30円かかったとか言ってた。そりゃ大工も使ったとは思うんだが、あの時代の人たちはすげぇな…
 
376 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 23:41:00
うちの爺ちゃんは陸軍航空隊のパイロットで昭和17年に戦死してる 
婆ちゃんちに金鵄勲章があった
 
377 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 23:43:27
>>373 俺の爺ちゃんも175cmあったが今は168cmの俺より低い・・・ナゼ?
 
378 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 23:44:11
>>372 戦車を一本背負いとかしてそうなお方だな
 
380 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 23:45:00
うちの爺様は朝鮮に駐留してました。
新妻の家にみんなで押しかけてレイプするのが最高だったそうです。
 
382 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 23:47:24
働きません、勝つまでは
 
383 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 23:49:23
わが祖父はゼロ戦パイロットとして、真珠湾、ミッドウエー、ソロモン、などの海戦に
参加し、母艦を失いラバウル基地など南方各地を転戦した。
しかし、爺様の率いる部隊は沖縄戦にて鹿児島より出撃、沖縄の米艦隊と壮絶なる死闘の末、
米母艦に特攻したが、機銃の掃射を受けて米空母の甲板に落っこちて捕虜となった。
後に返されて戦後を生き抜いたが、米空母の装備を見てこれは勝てんなと実感したそうな。
今でも残る、爺様の飛行服と軍刀ゼロ戦の部品。写真もたくさん残ってるよ。米兵と仲良く
写ったものなど。もう爺様も90過ぎてからこの季節はいつも戦争の話で盛り上がってますよ。
 
384 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 23:50:46
父方は二等兵で病気ばかりしてたので毎日掃除してたんだって。
母方は軍医で毎日上官と囲碁やってたんだって。
 
俺が毎日ブラブラしてるのもなんとなくわかるなぁ。
 
385 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 23:52:04
>>383 是非部隊名と御乗機のカラーリングとマーキングの詳細を教えて頂きたい
 
386 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 23:55:15
このスレを見る限り、圧倒的ではないか我が軍は。だがなぜ・・・。
 
387 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 23:55:47
俺の爺ちゃんは前線で通信兵やってた 実家は電気屋で、爺ちゃんが戦争始まってすぐ頃に
開店した店なんだけど、その知識から通信兵って流れだったみたい
前線で通信機が壊れたりした時は自前で直したりしてたらしい
その当時、前線で使ってたネジを作る装置が仏壇のとこに今もあるよ
 
388 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 23:57:40
俺のじいさん大阪に住んでたが京都に疎開した。戦争には行ってない。
じいさんはそのまま子供ができない親戚の家へ養子にいかされた。
音マネするのが好きで戦闘機が飛んでくる音もリアルに表現してくれる。
戦後の焼け野原で、551の蓬莱朝鮮人)が元々持ってた土地よりも広い敷地を自分のものだと
いって占有したという話も聞いた。
 
389 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 23:58:26
>>387 すごいなぁ、現場でネジから作るのか
 
390 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/06(土) 23:59:47
父方は満鉄職員で大陸に行ってたことしか聞いたことがないな
母方は俺が生まれる前に死んでしまったそうだけど、聞いた話だと教師やってたけど
日中戦争で大陸行って、書画を書けたから現地の金持ち中国人と仲良くなってたそうだ
終戦まで大陸にいたらしいけど、露助が進行してくるのを日本軍にいた隠れアカが手引きした
そうだよ  教師仲間だから助けてやるって言われて切れてたらしい
引き上げ後は共産党日教組と戦ってたそうな
 
391 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/07(日) 00:01:23
下っ端兵卒でジャングルを少しさまよった後、捕虜になってオーストラリアだかの収容所に
入れられる そこでの待遇の良さと初めて食ったチーズの旨さに感動して、一生ここで暮らそう
と決心するが戦争が終わって無念の帰国
戦死していたと思われていて、家族には金杯が送られていたが
生きていたと分かり町会長だかに金杯を奪われる その後ガキを8人作って死亡
 
392 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/07(日) 00:01:28
酒が入るとスネの銃創を見せながら
銃撃戦でチャンコロ何人も撃ち殺してきたと嬉しそうに語る件w
 
393 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/07(日) 00:03:29
満州に移住。情勢が悪くなって韓国に逃げる。会うたびに殺されそうになった体験とか話される。
 
394 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/07(日) 00:04:40
実際にじいさんと話したことないけど、満州かシベリアでスキーやってる写真が楽しそう
あと敗戦してロシア兵の捕虜になったとき
ロシアの兵士がすげー親切で捕まってるときもパンとか差し入れ持ってきてくれたらしい
それ以降じいさんはよく「シベリアにまた行きたい」と言ってたらしい。
その話を母親から聞いてから俺は親ロ派 個人的にはドイツカコイイ派だけど
 
395 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/07(日) 00:07:31
ウチの爺ちゃんは最初、特攻隊員(飛行機に乗ったら帰ってこれないアレね)に志願したんだが、
背が低くて駄目だったらしい。
んで、結局満州にいってたよ。詳しいことはしらないが、なぜか実家に金の杯がある。
爺ちゃんは天皇からの贈り物だと、大事にしておいらにみせてくれたよ。
 
396 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/07(日) 00:10:44
以前、仕事でその客先のお爺さんの部屋に入る事があったんだけど
部屋には戦争当時の、古い木刀とか戦国時代みたいな手書きのビルマの地図とか
あと同じ部隊の人達の寄せ書き(?)みたいなのとか額に飾ってあった
 
んで、その部隊の生き残りの人らと今でも同窓会みたく逢ったりするらしい
年一回、日本のどっかで集まって酒を飲み交わすのが楽しみって話されてた
元気な爺ちゃんだったよ
 
397 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/07(日) 00:10:55
母方の爺ちゃんは俺が生まれる前に死んでるし
父方の爺ちゃんは俺が4歳の頃に死んでいるorz
さっき書いた父方の爺ちゃんがしばらくソ連にいたことくらいしかわからない
母方の方は、訓練してる途中に戦争が終わったらしいし
親からの伝聞じゃなくて、直接戦争体験聞きたかったなあ・・。
婆ちゃんはあまり語ってくれないし
 
398 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/07(日) 00:11:07
>383
爺様の所属は開戦当時と終戦当時では部隊名及びその編成が異なるが・・・。
また搭乗機も数機になりカラーリング及び機体番号も変遷があります。
掲示板につき差し控えたい。御容赦くだされ。
 
399 :番組の途中ですが名無しです :2005/08/07(日) 00:11:19
直接聞いたわけではないが、化学兵器というかガス系製造の偉い人していたらしい
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

       ||〜'i  
       ||お.|    ___________
       ||に.|  /\丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶\
       ||ぎ.|//\\丶ヽ丶丶丶丶丶.ヽヽヽ丶\
       ||り |/ 田 \\丶丶丶ヽ丶丶丶丶 ヽ丶\
       ||屋.| ̄ ̄ ̄ ̄|  ̄  ̄  ̄  ̄  ̄  ̄  ̄  ̄  ̄
       ||〜'i | ̄ ̄ ̄|!| ∧,,_∧  おひとつドゾー !
       ||  .|!|___|!| ( ´・ω・)       ..-、   ..-、  ..-、
       ||  .|   .ハ,,ハ .|.. ̄ ̄ ̄ ̄|  旦 (,,■)  (,,■) (,,■)
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      ""''''"  cミ,,,,.,`;